HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報641号(2022年12月 1日)

教養学部報

第641号 外部公開

<時に沿って>芸術家と社会

速水淑子

image641_4-2.jpg 二〇二二年九月に地域文化研究専攻に准教授として着任しました。専門は近現代ドイツ政治思想史で、文学作品を主な分析対象にしてきました。教養学部ではドイツ語とドイツ語圏の思想・文学の授業を担当しています。
 独語講読科目を受け持つのは久しぶりで、授業準備をしていると、学生時代に戻るような懐かしさを感じます。最初に履修した独語講読では、トーマス・マンの「芸術家と社会」を読みました。履修者は六~七人だった気がします。初級文法もおぼつかない私たちに、副文のなかに副文が入り、その副文にさらに副文が入って、一文が半ページも続くマンの文章はお手上げで、たまに構文がわかっても、反語や引用や政治的背景が読み取れず、内容は不明なままでした。先生は無口な方でしたが、私たちが的外れな訳ばかりするので、うつむいたまま忍耐の閾値付近を行ったり来たりしておられ、教室はつねに緊張感に満ちていました。クラスメイトにひとり、ドイツの高校を卒業した現地育ちの女性がいて、彼女が流暢な発音で担当箇所を読み上げるときだけ、つかの間の平穏が訪れました。受講者はたいてい、休み時間に彼女から訳――といっても彼女にも意味はわからなかったので、われわれにとってはいっそう意味不明な訳――を教えてもらい、自分の番にそれを読み上げることで何とかしのいでいたのですが、そのうち誰かが図書館で日本語訳を見つけてきて、皆がそのコピーを膝にのせるようになると、先生の表情が目に見えて和らぎ、相変わらず内容は不明ながら、ドイツ語を辿りながら考えることが楽しくなってきました。それから様々に回り道をしましたが、結局マンの研究を続け、今にいたります。
 「芸術家と社会」は一九五二年に行われた講演で、芸術家が果たす社会批判の機能について検討したものです。詳細は略しますが、マンの見解は思想史的にみれば、個人が自発的行為を通じて個々の利害を調整しあい、暴力や強制によらずに秩序を維持することができるという「市民社会」の理念を示すものでした。マンが生きた二十世紀前半は、こうした市民社会の前提となる共通の価値観が失われ、それが全体主義の土壌となっているという危機感が高まった時代です。だからこそマンは、失われつつある市民的価値をあえて擁護し、ナチに対抗するための精神的拠点にしようと努めたのです。しかし研究を続けるうちに、自由で平等で理性的な個人という市民社会が想定する主体像は擬制にすぎず、そのユートピア的理念は現実において、社会の周縁に位置する者を抑圧し排除してきたのだと意識するようになりました。それにつれて研究関心も、市民社会の形成期におけるジェンダーとセクシュアリティ規範のあり方や、市民社会の境界の問題としての市民権をめぐる思想史へと移ってきました。
 昔を振り返ると、学部生のころ漠然と持っていた自分への期待と今の自分との差に落胆してしまいますが、駒場の自由な雰囲気に感謝しながら、教養学部の皆さんと一緒に学ぶ時間を大切にしたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

(地域文化研究/ドイツ語)

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