HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報642号(2023年1月 5日)

教養学部報

第642号 外部公開

<駒場をあとに> 教員として思い出すことなど

橋本毅彦

image642_2_01.JPG 駒場に講師として赴任したのが一九九一年、その後十年ほどお隣の先端科学技術研究センター(先端研)に出向したが、教養学部に戻り現在にいたるまで駒場に長くお世話になった。学部も大学院も駒場で過ごしたので、駒場の風景は自分には身近で見慣れてしまったもの。しかし他大の先生に気付かされたように、都心の一角にあるこれだけ緑豊かなキャンパスで教員として生活できたことは本当に幸福だったと思っている。
 学生時代に六年ほどの留学期間を経て、すぐに駒場に講師として着任した。そのこと自体は大変幸運なことだったが、授業をもった経験がなく、いきなり前期・後期・大学院の授業をもつことは期待に胸を膨らませる一方、大きなプレッシャーを感じたことも記憶する。着任時には上司の先生に、大学教員には「行政・教育・研究」の三つの仕事があるがこの順番で大事だからね、ときっちり釘を差された。そこでこの三つの仕事での思い出をいくつか。
 研究科の図書委員長を二〇一二年から四年ほど務めさせて頂いた。その折の大仕事は電子ジャーナルの価格高騰に伴い電子ジャーナルの選定を全学で行うことだった。そのために大所帯である本研究科でも各部会で電子ジャーナルの一つ一つの雑誌に対して優先順位をつけていく作業をしてもらい、それを研究科で集計し、さらに全学で集計した。この膨大な作業にあたっては図書課の雑誌担当の職員にお世話になったが、何よりもすべての部会の教員の方々に煩雑な作業を遂行して頂いた。なるべく作業が増えないように心がけたが、ときおりもっともな理由で小言も頂いた。この大プロジェクトを思い出すと感謝とお詫びの気持ちが心中に蘇る。また当時から蔵書のための空きスペース減少から二期棟の建設は緊急の課題となっていた。最近になり、二期棟の建設が実現しそうな気配であると伺っており、とても喜ばしく思っている。学生にも教員にも使い勝手のよい図書館が完成することを願っている。
 教育経験のないまま駒場で教え始めたおり、初日の前日に11号館の教室に下見に行き、それだけで緊張して手に汗をかいたことを覚えている。受講生が大変多いときもあり900番教室で開講したり、試験の手配や採点で大わらわだったりした。だが次第に大人数を前にした講義も慣れていき、多くの一、二年生に古代から現代までの科学史の知識を勉強してもらったことは本当によかったと思っている。教育面でもう一つの思い出に、以前続けられていたAIKOM(Abroad In KOMaba)という学部生の交換留学プログラムへの参加がある。そこでは日本の技術社会史といったテーマで英語の授業を開講したが、江戸時代から現代までの技術の歴史を追い、合間に日本における時間規律の定着についても考えてもらった。海外からの留学生にも面白く思ってもらえるトピックを配列できたと思う。大学院生の教育では、学生のテーマによっては私自身も相当のエネルギーを費やしてともに勉強したことが鮮明な記憶として残っている。授業に出席し課題をこなし、また時に大変な調査研究に従事してくれた学生の皆さんにお礼を言いたい気持ちである。
 研究については、いろいろな科学史・技術史のテーマに手を付けたが、航空工学や空気力学の歴史を主要な研究領域として力を入れて研究を進めてきた。博論を発展させた本を一冊出版したが、そこには含めなかった航空史で調査した話題もあった。先端研在籍中、当時先端研に所属なさっていた立花隆氏が面白そうに古い史料を眺めていたことがあり、それをきっかけに航空史の重要なトピック(航空機の強度規格の制定経緯)を探り当てることができた。また、本研究科の先生を通じて東アジアの科学技術史のシンポに参加する機会があり、その準備のために航空気象について興味深い資料に巡り合うことができた。不十分にしか対応できなかったが、さまざまな分野の先生と交流できたことは嬉しいことだった。もう一つ、同僚の先生方にも加わってもらい、さまざまな技術・医療分野における安全基準の構築というテーマで共同研究を企画したこともあった。私自身は航空機の運航を支えるもろもろの安全基準の歴史を追ったが、他の分野での大変面白い歴史事情を学ぶことができた。広い意味での安全基準の体系構築の歴史過程は技術全般、社会全般に及ぶ広大なテーマであり、共同研究の後に残された課題の大きさを改めて実感することになった。
 学生から教員に着任した早々、とある先生に様子を尋ねられ、学生としての気持ちがなかなか抜けないと答えたところ、間髪をいれずに「それはいいことだ」と返してくれた。今の自分からは「教師としての自覚も忘れないように」と言い添えたいところだが、少し肩の荷が楽にもなった。そんな先生の励ましの言葉を思い出しつつ、今、第三の人生に踏み出そうとしているところである。

(相関基礎科学/哲学・科学史)

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