HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報642号(2023年1月 5日)

教養学部報

第642号 外部公開

<送る言葉> 笑顔の下の強靱さ

廣野喜幸

 私が初めて橋本さんを知ったのは一九八〇年のことになる。当時、橋本さんは理学系研究科科学技術基礎論専攻の修士課程一年生であり、私は三学年下の後輩であった。当時から橋本さんは、科学史学を担う逸材の一人と嘱望され、目立つ存在であり、いつもパリッとスーツを着こなし颯爽としていた。
 電磁気学の創始者の一人アンペールの研究で理学修士号を得られ、博士課程に進学した橋本さんは、多くの院生が修士号のみで国内で頑張る中─当時、科学技術基礎論専攻博士課程において理学博士を得る方は皆無に近かった─、ジョンズ・ホプキンス大学の大学院に入り直すことを選んだ。そして、六年半の歳月をかけて、学位論文『理論、実験、デザイン実践─航空学研究の形成1909-1930』(一九九一年)─もちろん、英文です─を完成させた。六年半かかったというよりは、六年半かけたのであろう。私はそこに並々ならぬ決意を感じる。その後二十年にわたる研究をまとめた主著『飛行機の誕生と空気力学の形成』(東京大学出版会、二〇一二)では、戦間期イギリスの空気力学の展開という事例研究に基づいて、科学者と技術者の協力、研究計画と技術開発の関係等々の一般的な問いに答えようとする挑戦が試みられており、同書は物理学史と技術史の双方に精通した者のみに可能な意欲作になっている。
 一九九一年に帰国した橋本さんは、かつて周囲が予想したように、駒場の専任講師に着任された。その後十年ほどで、齢にして四十二~四十三歳で教授になり、日本科学史学会の欧文誌編集委員長や国際科学史技術史学会の評議員を歴任し、科学史学・技術史学を牽引し続けた。橋本さんは多くの大型共同研究を組織し采配を揮われたが、偉いなあと思うのは、共同研究の成果を、その都度、きちんと書籍にまとめ一般読者に供してきたことである。その一つである『遅刻の誕生』(編著、三元社、二〇〇一)は、近代が進むにつれて、いかに効率化がはかられ、科学や技術によって私たちがあるタイプの生き方にどうはめ込まれてきたかを解明した、科学史学の枠を超えた着眼点をもつスマッシュヒットー橋本さんの趣味であるテニスにかけてありますーである。
 橋本さんからは、笑顔を絶やさぬ温厚な姿が直ちに思い浮かぶ。その態度は学生指導にもよく表れていた。橋本さんの指導は、学生の関心に合わせて、必要な文献を自分も一緒に読んでいくというものであって、特に卒業論文は実に様々なテーマがもちこまれるので、いつもできることではない。
 橋本さんは、相関基礎科学系の系長をはじめ、マネジメントにも能力を発揮された。とりわけ情熱を傾けたのは、図書行政であっただろう。電子化が進み、また費用がかさむ学術誌をどう充実させていくかについて、研究科図書委員会の長として、見事な采配をとられた。
 私たちが科学史学の手ほどきを受けた伊東俊太郎先生は、先頃、九十歳で『人類史の精神革命』を上梓された。橋本科学史学も定年を機会にさらに発展していくにちがいないと確信している。橋本先生、これまでまことにどうもありがとうございました!

(相関基礎科学/哲学・科学史)

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