HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報642号(2023年1月 5日)

教養学部報

第642号 外部公開

<駒場をあとに> やはり研究は道楽だった?

久我隆弘

image642_3_01.JPG 一九九二年に駒場に赴任してきた際、新任の挨拶として「研究は道楽か?」という小文を書いた。その枕では来し方を振り返るような歳ではないとしたが、あれから三十余年、さすがにそのような歳になったというわけだ。
 もともとこだわりのない性格なので、面白そうなものにはすぐに飛びつくし、つまらなくなったらすぐに投げ出すといったことを繰り返していた。つまり研究者としての適性はあまりなかったのだと思う。実際、大学院時代に隣の研究室の助手から「久我君は研究者には向かないね」と言われたこともある。そこで発奮して今の私があるといったら一つの物語かもしれないが、当時も今も「まあそうだよね」とあっさりと認めている。ただ人生何が起こるかわからないといった話は前出の「研究は道楽か?」に少し書いてあるので、ここは本題に戻そう。
 熱し易いといった性格は駒場に赴任しても変わらなかったので、とりあえず駒場での最初の研究としては、当時はやり始めていたレーザー冷却の実験に取りかかった。といっても、米国にいた時にたまたま実験装置を見たことがあるといった経験しかなく、完全にゼロからのスタートだった。ただ優秀な学生と助手に恵まれ、三年余りで論文が書けるほどにまでなった。この最初の論文は、ドレスト原子といった考え方を実験的にも明確に示したものとして個人的には大変気に入っている。残念なことに被引用数は悲しい限りだが。
 同時に助手が主導して進めたサブポアソン光に関する研究テーマも秀逸で、研究室としての初めての論文はこちらの方だった。この「秀逸」というのは、単に学問的に興味深いといっただけでなく低予算で実施できる研究テーマ、つまりコスパが良いということも含んでいる。今の人にはなかなか理解できないかもしれないが、三十年前は外部資金もふんだんではなかったので、わずかな校費で賄えるような研究テーマを探すことも重要だった。ただ現状では校費もかなり削られているので、当時のように校費で研究できるといったことは今からすると夢のような話なのかもしれない。
 このようなスタートダッシュが効いたせいか次第に外部資金も集まるようになり、一九九八年には日本で初めて気体原子のボース・アインシュタイン凝縮を実現することができた。続けて原子波のコヒーレント増幅にも成功し記者発表も体験できた。身を粉にして働いていただいた助手や学生さんにはただただ感謝しかない。
 その前年の一九九七年は、ドーナツ型の強度分布をもつレーザー光の中心に気体原子を捕獲するといった実験を行い論文も出している。普通のレーザー光は中心付近の強度が一番高く、中心から離れるにつれて強度が落ちていく。レーザー光で気体原子を捕獲する際は通常では中心付近のレーザー強度が一番高いところに捕獲されるため、さまざまな相互作用を考えてその補正を行わなければならない。一方で中心付近の光強度がゼロとなるドーナツ型強度分布のレーザー光を使えば、それらの複雑な補正が必要なくなるといった発想である。まあ一発芸で終わった感もあるが、やり残したことはたくさんある気もする。
 白状するとこの一九九七年前後が個人的な転機となったと感じている。研究が順調に進んでいく反面、実験室に入ることがなかなかできなくなり、せっかくの玩具(道楽)を取り上げられてしまった子供のような気持ちにもなった。ただやはりこだわりはないので「まあ仕方ないね」とし、それ以降はさまざまに変わりゆく境界条件の中でいかに居心地の良い場所を見つけるかといったことだけを考えて過ごしてきた。自分の居心地を良くするために周りを巻き込むようなことは考えたこともなかった。
 このように二十一世紀に入ってからは半分「世捨て人」の感覚で過ごしてきたが、研究室が無事存続してきたのは、やはり優秀な助手(助教)やポスドク、大学院生のお陰である。私にこだわりがないということは指導力がないということと等価なので、研究室の運営はほとんど助手任せだったし、学生もほぼ放し飼い状態だった。ただ立場上、研究費(外部資金)の獲得は重要な職務とし、そこだけはなんとか面目を保つ程度のことはできたと思う。
 エンタングル光子(二〇二二年ノーベル物理学賞)の効率的な発生(二〇〇一)、フォトニック結晶中の高Q共振器設計(二〇〇八)、光誘起複屈折による半導体レーザーの周波数安定化(二〇〇三)、高Q光微小共振器中の超光速光伝播(二〇〇二)、熱的原子集団からの超放射(二〇〇五)、冷却原子からの蛍光の精密強度相関測定(二〇一〇)、ナノ光ファイバーを用いた飽和分光(二〇一一)など(テーマごとの被引用数順)、二十一世紀に入ってからは助手、ポスドク、大学院生が独自の発想から広範な領域で良い(被引用数の多い)成果を挙げている。彼・彼女らがどこまで研究を楽しんでくれたかを尋ねたことはないが、少なくとも寝食を忘れるくらい研究にのめり込んでいたのは確かだろう。
 そろそろ紙面が尽きるので結ぼうと思うが、研究環境が素晴らしいとはお世辞にも言えない駒場で研究生活を送ってこられたのは、駒場の遺伝子として根付くリベラルな学風と、そこに集った優秀な助手、ポスドク、大学院生のおかげである。また教育改革に明け暮れる三十余年ではあったが、適度に(?)手抜きする私をおおらかに見守ってくださった駒場の教職員各位にも感謝しかない。さようなら、そしてありがとう駒場!

(相関基礎科学/物理)

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