HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報642号(2023年1月 5日)

教養学部報

第642号 外部公開

2022年ノーベル物理学賞を理解する

長田有登

 二〇二二年のノーベル物理学賞は、「量子もつれ光子を用いた実験によるベル不等式の破れの検証と量子情報科学の開拓」に対してアスペ、クラウザー、ツァイリンガーの三氏に授与された。本稿ではこの受賞理由の意味するところを非専門家向けになるべく平易に説明することを目標とする。
 我々の世界を形づくる原子や分子、あるいは光の粒である光子といった小さなものは「量子」の仲間である。量子は粒子性と波動性を併せ持つものであり、例えば電子などの普段粒子だと思っているものが波動性も持つということになる。では電子の持つ波動性とはどういうものかというと、電子が一個飛んできたときにその位置は確率的にしか予測できず、その確率分布(正確には確率振幅という二乗して確率分布になるもの)は波のように広がり重なりあうというような性質である。このような解釈は今や業界では広く受け入れられているのだが、光量子仮説を提唱し量子力学黎明期を支えた知の巨人の一人であるアインシュタインは、先程の確率的にしか位置がわからないという解釈がたいそうお気に召さなかった人間の一人であった。物理学者である我々ですらもやはり無意識に位置や速度などのモノの性質は決まっているものと思うものであり、小さいものの世界を考える際にはそのような直観が通用しないことに注意して研究のお仕事をするのである。ましてやこんにちの量子力学の知識があるわけでもないアインシュタインが間違っていたなどとあげつらうのはナンセンスだろう。ちなみにたとえ全知全能であっても確率的にしか本来の位置を推定できないのはおかしい、本当は一つに決まっているべきだという考え方をここでは(素朴)実在論と呼ぶ。この実在論というなんともふんわりした、科学的でなさそうなものは実は本稿のキーワードの一つである。アインシュタインは相対性理論の生みの親でもあるから、光速よりも早くものの間で影響を及ぼしあうことが不可能であると強く信じていた。これを局所性といって、先程の実在論と合わせた局所実在論という世界の見方がアインシュタインをはじめとする一定数の物理学者たちに受け入れられていた。
 さて量子力学に対し不満を持っていたアインシュタインはポドルスキー、ローゼンと共に今で言う量子もつれ状態を例にさらなる批判をする。AとBの二個の量子が互いの状態に完全な相関を持って生成される現象が物理学では起こる。例えばAが〝右回り〟ならBは〝左回り〟、逆もまた然り、のようなきっちりした対応関係である。この対応関係つまり相関を考えたとき、局所性を仮定すると、量子力学は本来記述されるべき量が記述されていない不完全で望ましくない理論であるという論旨である。これが議論された当時は言うなれば量子の世界の記述がどうあるべきかという解釈のような話であった。
その後、アインシュタインが望ましいと考えるような局所実在論を満たす理論を一般的に記述するものとして隠れた変数理論というものが考案された。いわく、一見確率的に見える量子の世界だが、それは我々に検知できない隠れた変数が毎回ランダムな値を取ってランダムな実験結果を与えるように見えているだけというものである。隠れた変数は隠れているので当然確かめようがない。ところがベルという研究者は、局所実在論を仮定したときに二つの量子AとBの相関の数値が取れる範囲をベル不等式という形で明らかにしたばかりか、その範囲から外れた値を現実の量子力学は与えそうであるということを予言した。この予言のすごいところはそれまで解釈の問題だった話を実験的に決着のつけられる科学に引きずり下ろしたところだ。そして本稿初めに紹介した三人の物理学者は現実の量子の相関はこのベル不等式あるいはその変形であるCHSH不等式といったベル型の不等式で決まる範囲を逸脱することを実験的に明らかにしていき、局所実在論というそれまでの物理学の根底にあった世界観を覆したのである。結局局所実在論という世界観は捨てざるを得ず、かといって局所性を捨てるのもおかしいので、実在論が棄却されるというのが現代の通説である。ツァイリンガーはさらに一歩進め、量子もつれを応用し量子テレポーテーションを実証した。量子テレポーテーションは昨今脚光を浴びる量子技術、特に量子ネットワークでの応用において基本的な役割を担うもので、まさにツァイリンガーの仕事は量子情報科学の開拓に大きな寄与をしたものと言えるだろう。
 個人的にはこの大発見が量子もつれ光子、つまり光によってもたらされたことがたいへん面白い。というのも(古典)力学の最小作用の原理の発見、電磁気学のマックスウェル方程式の妥当性、特殊相対性理論の着想、一般相対性理論の検証、量子の発見の全てに光についての深い考察と実験が大きな寄与をしているからだ。というような極めて個人的な感想と、本稿を丁寧にチェックしていただいた本学の佐々木寿彦講師への甚大なる感謝を述べ、本稿の結びとさせていただきたい。

(相関基礎科学/先進)

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