HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報642号(2023年1月 5日)

教養学部報

第642号 外部公開

<送る言葉> 石田勇治先生を送る

川喜田敦子

 「石田勇治先生を送る言葉」の依頼を受けたときに、とうとうこの時が来てしまったかと思った。卒論の指導を受けて以来、実に三十年近くに及ぶ師弟関係であるだけに、あまりにもいろいろなことがありすぎて、何を書いたらよいか分からないと思っていたが、実際に書きはじめてみると、どうしても言わなくてはならないことはひとつであるように思えてきた。
 石田先生はヴァイマル共和国の青年保守派の研究から出発された。ヴァイマル共和国研究といえば、当時のドイツ現代史研究の重要な焦点のひとつだった。
 第二次世界大戦後に射程を広げられたのは、Ch・クレスマンの『戦後ドイツ史1945~1955 二重の建国』(未來社、一九九五)の翻訳に携わられたのがきっかけだろう。その後にまとめられた『過去の克服 ヒトラー後のドイツ』(白水社、二〇〇二)は、ドイツにおけるナチの過去との取り組みを考えるときに、まず挙げられる基本文献となった。
 ヴァイマル時代と戦後のはざまにあって、ドイツ現代史の最大の問題であるナチ時代については、I・カーショー『ヒトラー 権力の本質』(白水社、一九九九)を翻訳された後、二〇一五~二〇一六年にはヒトラー伝の決定版とも評されるカーショーの『ヒトラー』(上下巻)(白水社)を監訳され、その刊行と相前後して、『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社、二〇一五)をお書きになった。
 ただ、近年、ヴァイマル共和国に再び関心を戻されているように思っていたところ、二〇二二年五月の第七十二回日本西洋史学会大会の記念講演では、「ヒトラー前夜のドイツ? ヴァイマル共和国史再考」と題してヴァイマル共和国の崩壊を論じられた。
 これは、ヴァイマルから始めて、単に一回りしたというだけの話ではない。この間に、石田先生は、比較ジェノサイド研究に取り組まれ、ナチの体制犯罪を含めて、世界の様々な時代と地域における暴力の行使と正義の回復を考えようとしてこられた。日本が抱える過去とその被害者の救済に学問の枠を超えて関与されたこともその問題関心の延長線上に位置づけられると考えられる。さらに、それと密接に関わる問題として国制と憲法にも関心を向けられ、そのすべてを踏まえて、再び、出発点としてのヴァイマル共和国に立ち返られた。
 ヴァイマル共和国は民主主義の崩壊の歴史である。ヴァイマル時代をその観点からだけ見ることに対しては当然の批判があるが、ヴァイマル共和国が長く日本のドイツ現代史家の関心を引いてきたことの根幹には間違いなくその問題意識がある。石田先生が、今、なぜ再びヴァイマル共和国を取り上げなければならないと思われるにいたったかを考えるにつけても、三十年を超える駒場での研究生活において、石田先生は、今日の日本と世界のなかで歴史家としてあるべき未来を示すという責務を果たそうとする姿勢を愚直なまでに貫かれてきたと思う。歴史を学ぶことが学問であるだけでなく、世界に対する働きかけであり、生き方そのものであるということをここまで徹底されたのは敬服すべきことだと弟子は思っている。

(地域文化研究/ドイツ語)

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