HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報642号(2023年1月 5日)

教養学部報

第642号 外部公開

<時に沿って> 駒場と「ダイバーシティ」

福永玄弥

 二〇一四年から二〇二二年までの八年間を駒場で過ごした。といっても、まっとうにキャンパスに通ったのは修士課程の二年間くらいで、博士課程進学後は食い扶持を稼ぐための賃労働(非常勤講師と塾講師)に多くの時間を費やしたり、台湾と韓国での在外研究を終えて帰国してからは新型コロナ感染が流行したりと、駒場に来る機会はほとんどなかった。本稿を執筆するにあたって駒場についての印象を思い起こしてみると、博士学位記を受けとるために数年ぶりに立ち寄ったキャンパスの入り口に「取りこぼさないフェミニズムへ」と書かれた立て看板を見かけたことを思い出した。あれはよかった。
 会社員時代を経て大学院への進学が決まったとき、儀礼というものに対して身体的レベルで苦痛を感じるにもかかわらず好奇心が勝って入学式を訪れたところ、壇上の列席者に女性と思しきひとの姿がほとんど見当たらず、ショックのあまり─「とんでもないところへ来てしまった!」─座るべき席を通り過ぎてそのまま式場を後にしてしまった。そのときの直感が正しかったのかどうか、駒場での大学院生活は容易ではなかった。院生どうしの人間関係でも、同質性を前提としたホモソーシャルなコミュニケーションのなかで、年齢や階層やセクシュアリティといった点で自分の異質性を意識させられるばかりで、安心感が感じられることはほとんどなかった。それでも修士課程の頃は、東大の環境の特殊さや身近なところで見聞きしたハラスメントについて愚痴をこぼし合う仲間がいたが、彼女たちの多くは博士課程に進学するタイミングで駒場を去った。
 さて、十月一日付で教養教育高度化機構に着任した。次年度から本格的に始まるD&I(Diversity & Inclu­sion)部門のメンバーとしてである。目下のところ、教養学部にD&I関連の科目(フェミニズム・クィア研究、障害学、人種理論、「インターセクショナリティ」などを主題とした講義や演習)を設置するための準備が主な業務である。日本では二〇一〇年代中頃より「ダイバーシティ」が流行りだが、女性やマイノリティ学生の存在をもってそれを担保するための資源として活用するのでなく、東京大学が組織として抱える差別や不平等の問題を発掘して女性やマイノリティの学生・院生が安全に学び、研究することを保障するための制度や環境をつくることがこの部門の掲げる「D&I」の意味するところであると理解している。単年度で目に見える成果が現れるようなわかりやすい仕事ではないが、微力ながら私にできる範囲で尽力したい。

(教養教育高度化機構)

第642号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報