HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報642号(2023年1月 5日)

教養学部報

第642号 外部公開

<時に沿って> 研究テーマをめぐる授業の記憶

野添 嵩

image642_4_02.jpg 二〇二二年十月一日に総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系の助教に着任しました野添嵩(のぞえたかし)と申します。専門分野は生物物理学で、若本研究室の一員として、マイクロ流体デバイスと呼ばれる小さな空間で大腸菌のような細胞が増えたり死んだりしていく様子をタイムラプス計測し、細胞系譜と呼ばれる時系列データや細胞集団内の競争過程を解析することによって、集団内の細胞の形質の多様さ(ゆらぎやすさ)の持つ生物学的意義を理解しようとしています。助教着任までは複雑系生命システム研究センターの特任助教として全学ゼミの授業の運営や指導に携わっていましたが、着任後は新たに前期課程の基礎物理学実験を担当しています。担当する授業の内容は普段の研究内容とは異なるため、折に触れて学び直しながら、目まぐるしくも楽しい日々を送っています。自分自身が駒場キャンパスで受けた授業を思い起こしてみると、現在の研究テーマにつながるいくつかの記憶がよみがえります。
 物理学で物体の運動を運動方程式で記述するように、生命現象を数式で記述し理解できないか、と漠然とした興味を持っていた私は、東京大学理科一類から教養学部後期課程の基礎科学科(現在の統合自然科学科の前身の一つ)の数理科学分科に進みました。一つ目の記憶は、二年生後期に受講したセミナー形式の授業でアインシュタインのブラウン運動論文を読んだことです。微粒子のランダムな運動の記述を通して原子の数を数えるに至る論理をゆっくりと読み解いていくという刺激的な授業で、「ゆらぎ」の記述に興味をもつきっかけになりました。もう一つの記憶は、三年生後期のセミナー形式の授業で理論生物学関連文献を読んだときのことです。最初に私が選んだ論文では、ゆっくりと変動する環境下では細胞の性質がランダムに移り変わる性質をもつことが集団全体の適応度(=増えやすさや生き残りやすさの指標)の向上に寄与する可能性を示唆しており、細胞状態のゆらぎを具体的な研究対象として考えるきっかけになりました。なおこの論文の著者の一人とはその後一緒に研究する機会に恵まれ、現在につながっています。
 この二つ目の授業についてはもう一つ教訓的な思い出があります。授業期間の後半で読む文献の候補に非平衡統計力学分野の有名な論文がありました。当時の私はその論文に興味を示しつつも、より生物学的色合いの強い別の論文を選びましたが、そのとき選ばなかった論文は、後に思わぬ形で私の研究テーマに関わってくることになり、改めて勉強することになりました。このように「面白そうだが研究内容とは直接関係しない」と思っていたことが後々研究を進める上で役立つことが少なからずあります。一度きりの人生で使える時間は限られていますが、すぐに役に立つかはともかく、面白いと思ったらしばらく時間を使ってつきあってみる、ということも大切にしながら、駒場での研究と教育に取り組んでいきたいと思います。

(相関基礎科学/物理)

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