HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報644号(2023年4月 3日)

教養学部報

第644号 外部公開

教養教育におけるダイバーシティ・アンド・インクルージョン

清水晶子

 東京大学には多様性が足りない、とは近年しばしば指摘されてきたところです。もっともよく言及されるのはジェンダーの問題で、東京大学の構成員には男性以外の人が驚くほど少ない。これは、教員(とくに専任教員)の女性比率の圧倒的な低さ、女子学生の少なさなどに、わかりやすくあらわれています。けれども、多様性はいつも単に数の問題なわけではありません。
 たとえば、外国籍の人々、何らかの障害や疾患のある人々、性的少数者の人々などは、以前から東大の構成員の中に存在してきました。とはいえ、東大のキャンパスにおいて講義をしたりゼミで議論をしたりするとき、オリ合宿を企画したりサークルで集まったりするときに、日本国内で教育を受けて日本語を第一言語とする外国籍の人々、あるいは障害や疾患のために特定の場所や資料へのアクセスが困難な人々が、その場に参加している可能性は考えられてきたでしょうか。そのような人々の存在はどこまで見えていたでしょうか。
 それどころか、そこにいることが明確にわかる女性の構成員についてさえ、彼女たちのニーズ、彼女たちの経験や視点は、大学での議論や企画や活動のなかに、どれだけ組み込まれてきたでしょうか。
 従来のキャンパスに女性や様々なマイノリティを連れてくるだけでは、多様性は少しは向上するかもしれませんが、D&I(ダイバーシティ・アンド・インクルージョン、多様性と包摂)にはなりません。D&Iの「インクルージョン」とは、今まではそこにいることになっていなかった人々の存在を前提とし、あるいは存在していてもその経験や意見が重視されてこなかった人々の見解を踏まえて、場を作り直し議論を組み立て直すことに繋がらなくてはなりません。D&Iの推進とは、従来のキャンパス、従来の大学のあり方を変えて、今までは気にしなくても済んできたことに注意を払い、今までは素通りしてきた言葉に耳を傾けることなのです。
 けれども、これは簡単に実践できることではありません。今まで気にしなくても済んできたことに注意を払うためには、私たちはまず、何に注意を払わなくてはいけないのか、何をどう気にかけるべきで、それはどのような理由によるのか、それを学ばなくてはなりません。
 今年度から、教養学部前期課程ではD&I教育が大幅に拡大して展開されます。前期課程ではこれまでも、ジェンダー論、ジェンダー論(人文学)、ジェンダー論(社会科学)、表象文化論(セクシュアリティ論)などが提供されてきました。今年度からはそれに加えて、障害学、植民地主義研究、フェミニズム科学論、ダイバーシティと法、社会正義論など、人文学、社会科学、科学技術論などの広範な領域にまたがる多様な講義が、通年で6コマ開講されることになっています。同時に、主題科目として、トランスジェンダー・スタディーズやサイバーフェミニズム、さらにはD&I概念の再考まで、より少人数でのディスカッションを促すタイプの授業も、同じく通年で6コマ提供されます。
 キャンパスや大学、ひいては社会におけるD&I推進とは何を意味するのか、従来しばしば見過ごされてきた存在や経験や思考が、どのような学術的な分析と考察に結実してきたのか、その蓄積の上で私たちはどう思考し行動すべきなのか。それを学び考えるのは、大学が提供する前期教養教育の重要な一環です。そのような理解のもとで、今年度から豊富なD&I教育が前期課程で展開されることになったのです。
 もうひとつ駒場キャンパスのD&I推進を支えるのが、二〇二〇年度に始まった駒場キャンパスSaferSpace(KOSS)です。キャンパス102号館にあるKOSSの開室時間には、ジェンダー、セクシュアリティ、障害、人種や民族などに関わるD&Iに興味をもった学生や、それらの問題を専門的に研究に従事する院生たちが、授業の前後に立ち寄っては、愚痴を言いあったり、一人黙々とランチを食べながら授業の課題に取り組んだり、学内外の様々な問題を議論したり、読書会や研究会、デモやパレードやイベントに誘い合ったりしています。
 KOSSは、自分がこれまで素通りしてしまいがちだった言葉を学ぶ場であり、逆に自分の言葉が素通りされがちであった問題については自分の言葉に耳を傾けられる価値があることを学ぶ場でもあります。セイファー・スペースとは具体的な「場所」であると同時に、知識と経験を分かち合ってお互いをエンパワメントするコミュニティをキャンパスの中に自覚的に作り上げていこうとするプロジェクトでもあるのです。KOSSの活動はまた、キャンパス内にとどまりません。学外に向けたオンライン連続公開講座は毎年述べ人数で一五〇〇人近い参加者を集めますし、国内外の研究者や作家、アーティストなどをお呼びした公開講演会も年に数回開催し、D&Iに関わる様々な情報を発信しています。
 前期教養教育のカリキュラムに組み込まれた多彩なD&I関連授業と、カリキュラムの外で研究者、大学院生、学生が自由に交流しつつ多様で包括的な場を作り上げる実践に取り組むKOSS。教養学部は当面、この二つを両輪として、教養教育の一環としてのD&I推進に取り込んでいくことになります。

※教養教育高度化機構D&I部門D&I教育セクションオフィス:101号館1F
※教養教育高度化機構D&I部門 駒場キャンパスSaferSpace(KOSS):102号館1F;https://www.utkoss.org

(超域文化科学/英語)

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