HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報646号(2023年6月 1日)

教養学部報

第646号 外部公開

幻聴はどこから生じるのか?

小池進介

 幻覚は「対象なき知覚」とされ、いくつかの精神疾患や身体疾患でみられる症状であるとともに、一般人口中でも10~20%がもつとされる、頻度の高い症状(現象)です。ヒトの様々な知覚に対応して、幻聴、幻視、幻臭、幻味、体感幻覚(触覚もしくは痛覚に対応)などがあります。幻視は最も想像しやすい幻覚かと思いますが、一般精神科診療において幻視を主症状とする人はまれです。また、幻聴は本来聞こえないものが聞こえることなので、広義では耳鳴りなども含みますが、医学的には区別されます。
 統合失調症は一般人口中の1%弱が発症する精神疾患で、その症状として「妄想」「幻覚」などが診断基準に挙げられています。診断マニュアル等を見ると、こうした症状が簡潔に記載されているだけなのですが、実際は「統合失調症によくみられる」妄想、幻覚について、診断基準を満たすかどうかを考えて診断します。例えば、統合失調症でよくみられる幻覚は、はじめに挙げた五つの幻覚のうち幻視を除いたもので、幻視を主症状とした患者さんが来た場合、普通は統合失調症を考えません。さらに、幻聴といっても統合失調症に特徴的な幻聴があり、考想化声(自分の考えが声になって聞こえること)、第三者が言い合う形の幻聴、自己の行動とともに発言する実況中継の幻声(例・「座って精神科医と話し始めましたね」)、命令形式の幻声などが挙げられます。また、統合失調症の幻声は被害妄想とセットになり、被害的な幻声が多いです。こうした特徴のある幻聴を患者さんが訴えた場合、精神科医は統合失調症を念頭に置いて診療を開始します。いっぽう同じ幻聴でも、要素幻聴(アラーム音など)や音楽性幻聴を訴えた場合は、ほかの疾患を考慮に入れつつ診療します。診断マニュアルにはこうした各症状の細かな特徴がすべて記載されているわけではなく、精神科の診断体系が一般の人から見てわかりづらく見える理由のひとつになっています。
 こうした症状特徴から、統合失調症の幻聴は、比較的高次な認知機能の異常として考えられてきました。ひとつの仮説に、脳内での言語思考(内言)と発声言語(外言)の区別が障害されているとされ、その責任部位は言語処理に関する前頭葉、側頭葉が想定されています。声を聴いて理解する過程は、耳からきた聴覚刺激が複数の皮質下構造物を通り、上側頭回をはじめとした側頭葉で声として認識、処理され、他の大脳皮質内でさらなる高次認知につながります。いっぽう、言語を生み出し発声する過程は優位半球(一般には左側)の下前頭回を起点として複数の前頭葉領域を介し、同じ前頭葉にある中心前回(一次運動野)から複数の皮質下構造物を通り、発声筋群を調整させて声が出ます。「起点」と書きましたが、内言は意識的に制御できない機能でもあり、実際は様々な脳領域の活動をもとに内言が生成されていると考えられています。精神医学で定義される独語も統合失調症の一症状であり、この内言と外言の区別が障害されていると考えられています。こうした症状特徴および病態仮説から、統合失調症の幻聴をヒト以外の実験動物で行う研究は難しく、さらに症状を有しないヒトで行う実験研究も難しいため、当事者を対象とした臨床研究で検討することになります。
 統合失調症をもつ当事者全員が幻聴を体験するわけではありません。もちろん重症度と関連はしますが、比較的重症でも「幻聴はないんです」と断言される方(おそらく精神科医が事あるごとに聞いてくるから患者さんも返答に慣れている)もいれば、比較的軽症で早期に治療されていても幻聴を主症状として相談される方もいます。つまり、統合失調症全体の脳病態とはやや独立した症状形成過程があると考えられます。また、治療の過程で幻聴が軽快する方も多く、脳画像を計測するころ、すなわち病状が安定したころには幻聴がない方のほうが多くなります。幻聴の有無を正確に把握して研究を進めるためには、研究参加者から幻聴の有無を聞くだけでは不十分で、幻聴歴を聞くだけでなく、カルテを細かく見直したりするなど、データの信頼性を高める必要があります。これまで多くの研究グループが統合失調症の幻聴に関連した脳構造特徴を指摘してきましたが、サンプルサイズが十分ではない、幻聴体験を聴取する手法の信頼性が低いなど、様々な問題により研究結果が一致してきませんでした。
 そこで、これまで東京大学医学部附属病院で撮像してきた脳構造データセットを用いて、脳構造特徴を統合失調症幻聴あり群五十八名、幻聴なし群二十九名、健常対照群一一七名の三群で比較しました。幻聴歴は、私と精神神経科の越山太輔先生が独立して詳細にカルテを検討し、検査者間一致度を保ちつつ評定しました。また、脳画像撮像時の重症度に基づき、幻聴あり群をさらに、幻聴持続群三十七名、幻聴非持続群二十一名に分けてサブ解析を行いました。
 その結果、幻聴あり群では、幻聴なし群や健常対照群に比べて左尾側中前頭回、左中心前回の皮質表面積が小さく、健常対照群と比べて左島皮質表面積と左右の海馬体積が小さいことがわかりました。この五つの特徴についてサブ解析を行ったところ、幻聴持続群は非持続群に比べて、両側海馬の体積が小さいことがわかりました。
 幻聴あり群に違いが見られた左尾側中前頭回は、ブロードマンの脳領域55bという発語などの言語操作の役割が示唆されている脳部位を含みます。また、言語作業記憶(ワーキングメモリ)や言語認知処理と関係するとも考えられており、競合する複数の外部刺激(聴覚、視覚)などから必要な情報を選択する役割を果たすとされています。統合失調症の幻聴で考えられる内言と外言の弁別障害で想定される脳部位と一致します。一方、幻聴持続群と非持続群の違いは、統合失調症の重症度との関連が指摘される海馬体積で見いだされ、症状持続については重症度が反映されたものだと考えられました。今回の研究成果から、幻聴の発生過程の解明や、その治療についての研究に進むことが期待されます。
 この研究は、コロナ禍が大きな影響を与えました。論文の第一著者の曾根さんは、国内の大学を卒業後、海外の大学院に進学予定でしたが、コロナ禍のため進学できなくなり、自分の興味に合う国内の研究室を探して私のところにたどり着きました。最初はデータ整理の手伝いでしたが、慣れてきて研究解析もできるようになり、本論文の作成に至りました。脳画像研究、特に臨床脳画像は計測するまでが大変ですが、研究データを撮り貯めることによって視点を変えて再検討できます。データの大規模化は国内外のプロジェクトで進められており、今後さらなる発展と普及が期待されています。

(進化認知科学研究センター)

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