HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報646号(2023年6月 1日)

教養学部報

第646号 外部公開

<本の棚> 佐藤俊樹 著『メディアと社会の連環 ルーマンの経験的システム論から』

竹峰義和

楽しいルーマン、使える理論

 ニクラス・ルーマンのシステム論には、「難解」という形容が枕詞のように冠せられてきた。社会学者ルーマンの名前は広く人口に膾炙しており、日本語訳もすでに数多く刊行されている。だが、独自の術語や概念の数々、抽象的な議論、独特の文体にくわえて、著作の多さと分厚さが、安易なアプローチを阻んできたように思う。私自身もまた、メディアやコミュニケーションをめぐるルーマンの理論に惹かれるものを感じ、翻訳でチャレンジしようとしたものの、数頁読んだところで挫折するということを繰り返してきた。
 私を含めたルーマン初心者にとって、佐藤俊樹『メディアと社会の連環』は、ルーマンのシステム論への格好の手引きとなる書物である。中心に据えられているのは『マスメディアリアリティ』に代表されるルーマンのマスメディアシステム論であり、序章では、「自己産出系」としてのマスメディアをめぐるルーマンの基本的な考え方が、連続ドラマやSNSなどの具体例を交えながら、実にわかりやすく解説されている。たとえば、ルーマンの理論を敷衍するかたちで著者は、マスメディアとは「特に『新しさ』に強く反応して部分的知識を積み上げていく制度」(三三頁)であり、「『ニュースの発信』が『ニュースの発信』を生み出す」(四二頁)システムだと述べているが、そのような定式は、マスメディアの本質を的確にとらえたものとして、各人の経験に照らしても肯首できるだろう。
 つづいて、本書の第Ⅰ部では、サブカルチャー、民主政、世論調査、ネットメディア、ニュースなどの対象について、ルーマンのマスメディアシステム論を補助線に引きながら多角的に考察されるが、それは同時に、ルーマンの理論の実践的な射程を検証する試みでもある。序論でも述べられているように、近年の学術的なトレンドにおいて、いわゆる一般理論は、経験的な次元から遊離したものと見なされ、敬遠されがちである。それにたいして著者は、ルーマンのシステム論を「中範囲の理論」、すなわち理論と実証とを統合するものとして読みとくことで、当事者による観察という経験的な次元を捨象することなく、むしろ理論を観察に、観察を理論に相互に照らし合わせていく。そこから明らかにされるのは、ルーマンの理論が、われわれにとって身近な対象や問題について考えるうえで、いかに有益な示唆や観点を提供してくれるかという点である。一例を挙げれば、ルーマンのメディアシステム論では、システムの要素どうしが自己言及を重ねていくことで回帰的なネットワークが作動するとされるが、そのようなモデルはまさに、自己の内部で構築された「受容者」像に何とか対応しようとするマスメディアや、「いいね」の数やエゴサーチの結果に振り回されるSNSユーザーの状況を的確に説明するものとなっている、といったように。第Ⅱ部以降では、ルーマンの自己産出系論について、より専門的な見地からの考察が展開されるが、ルーマンの理論を手がかりとして、さまざまな社会的事象を論理的に分析するという著者の姿勢は一貫している。そして、それによって、ルーマンのシステム論が、現実からかけ離れた抽象的な思弁ではけっしてなく、現代社会を理解するうえで実に使えるツールであることが説得的に実証されていく。
 本書においてさらに特筆すべきは、ルーマンの理論と取り組むにあたって著者が感じている「楽しさ」が、読者に生きいきと伝わってくることである。序論における「理論と楽しさ」と題された節には、「『(反省的に)考えることで初めて見えてくる』という事態」が「考える楽しさ」をともなうという記述が見られる(二~四頁)。実際、本書の随所で著者は、ルーマンの難解なテクストと格闘するなかで、新たな認識や意外な発見を獲得していく過程や、そこで体験された「楽しさ」を、ざっくばらんな筆致で語っている。そうした記述は、古代ギリシア人が「タウマゼイン(驚き)」と呼んだものこそがあらゆる学術研究や理論の根幹にあることを再認識させてくれる。

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      提供 東京大学出版会

(超域文化科学/ドイツ語)

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