HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報646号(2023年6月 1日)

教養学部報

第646号 外部公開

<時に沿って> 小さな教室と大きな教室

小山 裕

image646_03_2.jpg 十八歳のときだったか、十九歳のときだったか記憶が定かでないが、地元の古書店でたまたま同時に手にした二冊の新書がその後の進路を決定づけたように思う。
 一つは野矢茂樹先生の『無限論の教室』。舞台となっている受講する学生が二名しかいない哲学の授業がフィクションであることは承知しつつも、これに近い授業に出会える大学があるとすれば、そこで学んでみたいと憧れた。今はキャップ制の導入もあって、だいぶ様変わりしたと仄聞しているが、当時の前期課程は大人数の講義がほとんどで、野矢先生の記号論理学Ⅱもその一つだった。そうした中でも駒場キャンパスでは、幸運にも、学生が三名の授業や(大学院進学後のことではあるが)学生よりも教員の方が多く参加する演習に参加する機会に恵まれた。これらの授業は、この本で描かれているような教員の研究室でお茶やケーキを口にしながら行われる和やかな雰囲気からはほど遠く、むしろ大教室での講義では味わうことのできない独特の緊張感に満ちていた。そのぶん得られるものも多く、特にテクストに対する態度やそれを取り扱う技法は、こうした小さな教室で積み重ねた経験がなければ、「読める」とは到底言えない水準にとどまっていただろう。
 もう一つは見田宗介先生の『現代社会の理論』で、現代社会の基底的なメカニズムだけでなく、その功罪と未来の可能性を大胆に描くこの本を通じて、社会学という学問の存在とその魅力を知った。見田先生は、私が入学したときにはすでに定年で退職されていたけれど、前期課程の多種多様な講義はどれもが新鮮で、中でも市野川容孝先生の社会Ⅰの講義からはこの著作以上に啓発された。社会的現実への向き合い方というか、何か社会学のエッセンスのようなものを垣間見た気がして、それを自分の手で取るためにもっと多くのことを知りたいと思った。進学振り分けでは、後ろ髪を引かれつつも、結局、文学部の社会学専修課程を選び、それでも足りず、そのまま大学院でも学び続け、現在に至るのだが、あのとき満席の九〇〇番教室で体験したような視野が開けていく感覚を得ることはなかった。博士論文ではドイツにおける市民的自由主義の系譜という社会学というより、社会思想史に近い主題に取り組み、その後は平等という理念の比較などにも少しだけ手を広げてきたが、思索の大まかな方向性は、その奥底では今なお駒場キャンパスでの経験に規定されているという自覚がある。
 今年度は前期課程では社会科学ゼミナールを、後期課程と大学院では現代社会学演習・現代社会論をそれぞれ担当している。少人数の演習科目と社会学の専門科目という組み合わせに縁を感じつつ、研究と教育を通じて、自分自身がこのキャンパスのさまざまな教室で触れえた技法や視野に少しでも有意味な何かをつけ加えて伝えていくことができればと今は考えている。

(国際社会科学/社会・社会思想史)

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