HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報646号(2023年6月 1日)

教養学部報

第646号 外部公開

<時に沿って> 時に沿って、時に抗って

三輪健太朗

image646_05_4.jpg 『教養学部報』のバックナンバーで「時に沿って」を拝読すると、自らも学生として駒場に通った経験のある先生方が、かつてを懐かしんで書かれた文章の数々に出会います。私もまた、この二〇二三年四月の頭に超域文化科学専攻に着任し、教員としてキャンパスを歩き始めた途端、学生として駒場に通っていた二〇〇五年から〇六年にかけての記憶が次々と脳裏によぎるのを押し止めることができませんでした。その幸福な懐旧の情に浸ったままこの原稿の執筆に向き合えれば良かったのですが、しかしいまの私のなかには、時に「沿う」よりもむしろ、時に「抗い」たくなるような気持ちが生まれており、それを拭い去ることができずにいます。
 というのも、辞令を受け取ったほんの数日後、かつて私が駒場で所属していた学生サークルが、新型コロナウイルスの流行下における新入部員の途絶によってこの春をもって廃部となり、部室からの立ち退きを余儀なくされたという報せが届いたからです。今から半世紀以上も前に解散したあるイギリスのロックバンドの曲を専ら演奏していたその軽音楽系サークルは、そうした活動自体が時の流れに抗うような面を持っていたはずでもあるのですが、世界史的規模のパンデミックがもたらした影響はあまりにも大きすぎました。キャンパスのなかには、壁の落書きにさえ当時と変わらない姿がいくつも残されてあり、それらの景色や匂いが私を過去へと連れ戻そうとしますが、変化しないものの存在こそが変化を知覚するための条件である以上、それらはもう帰れない場所があるのだという思いをいや増すことにもなります。
 さて、私の専門はマンガです。マンガは大衆文化として産業発展したという経緯を持ちますから、正統文化のように権威によって庇護されたり保管されたり、あるいは学術的な研究の対象とされる機会には恵まれにくかったジャンルです。他方で、現代におけるマンガは、そのポピュラリティの高さによって、社会的な価値や意義をなし崩し的に認められつつあるようにも思われます。私のようにマンガ論を専門とする人間が東京大学で教鞭をとるようになったことも、そうした潮流に掉さすものと見えるかもしれません。
 しかし私自身にとって、マンガを研究することは、時流に沿った価値観を追認する作業ではありません。市場原理と切り離せない大衆文化としてのマンガは、現在時のポピュラリティによって己の価値の一端を証明しますが、その事実は同時に、いま日の目を浴びている作品の背後に、風化し忘れられていった数多の作品があること、当初から市場原理をはみ出した作品たちがあることを思い出させもします。否応なしに進んでいく時の流れに抗って、そうした無数の可能性に目を向けることなくして、文化を研究することはできないでしょう。このような意味での時への抗いが、いつか振り返ったとき、学問の道のりとしては時に沿って自然に歩んだ正道であったと思えるよう、これからの駒場での日々をまた大事に過ごしたいと思います。

(超域文化科学/先進融合)

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