HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報647号(2023年7月 3日)

教養学部報

第647号 外部公開

<本の棚> 舛方周一郎・宮地隆廣 著 『世界の中のラテンアメリカ政治』

受田宏之

ラテンアメリカを通して、日本やアメリカをよりよく理解する

 ゲームプログラマーの弟と生成型AIが引き起こし得る変化について話して、憂鬱な気分になった。ラテンアメリカの経済と社会、それも現地の人間もあまり取り上げないようなテーマを研究してきたが、文字通り日進月歩を遂げる生成型AIとそれを使いこなす学生を前にして、自分など不要な存在になるだろうと。
 そこで、どうすればアナログなオヤジが生き残れるかを考えてみた。一つには、情報の取捨選択に熟達することによる正確な記述を売りにすることがある。だが、この優位もほどなく失われ、学生は私の言うことの信憑性を生成型AIでチェックするようになるかもしれない。もう一つの、AIにはより不得手であろう生存戦略は、個々の記述を超えた社会的なテーマに関する異なる視点、ナラティブを、その長所と短所を含めて示すことにある。人文科学は、時代と地域により異なる知の多様性を重視する。社会科学は、自然科学を意識してより普遍志向だが、それでも様々なアプローチのあることが知られている。たとえば、「既存の政治制度の正統性の低下を背景に、国民をエリートと非エリートに二分し、前者を糾弾しつつ後者の結束を訴える」ポピュリズムは、今日世界的な現象となっているが、ラテンアメリカの都市化の進んだ国々では、早い時期から様々な型のポピュリズムがみられた。各々の事例の個性を捉えつつ、ポピュリズムを支える政治制度や経済的論理、カリスマ政治家の特質を解明することにより、ラテンアメリカ以外の地域でも猛威を振るうポピュリズムについての理解が深まることになる。
 ブラジルとアンデス諸国を主なフィールドとする気鋭の比較政治学者による共著『世界の中のラテンアメリカ政治』は、精緻な記述とストーリーの豊かさを兼ね備えたラテンアメリカ政治のテキストである。政治学の最新の知見が歴史学や人類学の議論で補われ、またV‐Demをはじめとする政治指標も適宜用いられている。⑴複雑度に違いのある多様な社会の存在した「先植民地期」、⑵その影響は今日まで及ぶスペイン、ポルトガル(およびハイチの宗主国フランス)による「植民地期」、⑶独立から新たな政治秩序の確立までに時間を要した「国家形成期」、⑷経済的には政府主導の開発戦略、政治的にはポピュリズムや軍政により特徴付けられる「積極国家期」、⑸民主化と同時に新自由主義への開発モデルの転換のみられた「消極国家期」、⑹全般的な左傾化と一部の国々の権威主義化、一次産品ブームにより特徴付けられる「ポスト消極国家期」、からなる極めて長期に及ぶ重要な政治トピックについて、簡潔でありながらも丁寧な論述がなされている。
 ラテンアメリカの政治や経済を扱ったテキストは、東アジアや北米と比べてのラテンアメリカに共通する特徴を描き出そうとする傾向にあった。それらは、植民地期に確立した不平等な社会構造や米国の覇権主義、冷戦の影響といった歴史的、外在的要因を強調する一方で、それらを与件として政治的アクターが取る戦略や同盟の効果を軽視しがちであった。これに対し本書では、ラテンアメリカの共通項と同時に、域内の多様性を明示しようとする。評者のように、軍政を経験したことのないメキシコを主なフィールドとする人間には、積極国家期と消極国家期の間にチリやアルゼンチン、ブラジル、ペルーや中米諸国等で広くみられた軍政と民主化の多様な形態についての整理は有益であった。
ラテンアメリカの政治と経済をめぐる争点として、過去の歴史が現在をどれだけ縛るのかということがある。本書では、植民地期に形成された制度的遺産がその後の民主主義と市場経済の発展度を決めるとする新制度学派的な議論が紹介される。その一方で、ボリビアのように域内においても遺産が不利に働いてきたといえる国において、排除されてきた先住民が新たな民主主義の可能性を切り開こうとしている点も論じられる。ラテンアメリカの政治を学ぶことにより、ポピュリズムに限らず、政治への見方を拡げることができる。

(国際社会科学/スペイン語)

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   提供 東京外国語大学出版会

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