HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報647号(2023年7月 3日)

教養学部報

第647号 外部公開

<本の棚> 長田有登・やまざき れきしゅう・野口篤史 著 『量子技術入門』

高木隆司

 本書は、量子情報技術の実験研究に携わる気鋭の若手研究者である、総合文化研究科の長田有登助教、野口篤史准教授、そして国際基督教大学のやまざきれきしゅう准教授によって執筆された、近年大きな注目を集めている量子情報技術に関する知見、及び関連する理論体系をまとめた入門書である。量子情報科学は現在急速な発達を見せており、かつ極めて学際的であるその特色から、分野の全体像を効率的に掴むことが非常に難しくなっている。本書は、量子情報科学に必要な量子力学の枠組みから最先端の実験系の基礎までの幅広い内容を一冊にまとめることで、分野に対する参入障壁を減らし、様々な実験系において共通して使える知見を提供することで、最先端の研究にいち早く追いつくことを手助けするものとなっている。
 本書の特徴は、どの様な背景を持つ読者も新しい知識や知的好奇心を獲得できるところにあると思う。まず、タイトルにもある様に、本書は量子力学や量子情報科学に今まであまり触れてこなかった、分野にいわゆる「入門」する読者に対して良い文献となっている。量子力学自体は、本来年単位の時間を使って学ぶ大きな理論体系であり、その事実が量子情報科学の敷居を上げてしまっている可能性がある。本書の第1〜4章は、量子情報技術の基礎部分に触れるのに必要最低限の量子力学の知識を上手く選別し、分かりやすく説明している。ここで、「分かりやすい」というのは、図表を無闇に用いて数式をできるだけ減らすという表面的なことを意味しない。量子力学は日常の直感に反する現象を説明できる枠組み(だから面白い!)であり、数式を用いない図式における説明は逆に混乱を招く可能性が高い。その点本書は、適切に必要な数学の知識を用い(必要な場合は導入し)、量子情報科学の文脈で量子力学の枠組みを簡潔に整理している。この前半部分において説明される内容をもとに、本書の後半部分、また関連する別の文献の理解にスムーズに進むことができると思われる。
 一方で、私の様な量子情報科学を専門としながらも理論研究に主に携わっている研究者にとっては、量子情報実験技術への良い導入書と見ることができる。量子情報実験技術は近年急速に発達しており、毎年の様に新しい技術やブレークスルーが生み出されている。この様な事情から、理論部分を主に扱う研究者といえど実験の進展を注視する必要があるわけであるが、どの様なプラットフォームで情報操作を扱うかは様々なアプローチ(例えば、ion trap, superconducting qubit, NV centerなど)があり、それら各々の特性を理解した上で最先端の結果を追うことが難しくなってきている。量子情報理論の分野には良書として知られる幾つかの有名な入門書があるが、近年注目を浴びている最新技術の多くは、それら「有名な入門書」の出版後に台頭したものであり、最新の進展を網羅した系統的な文献が中々無いといった状況であった。本書の特に第5〜7章は、最新の実験技術及びその原理や特徴について理解を進めたい理論研究者に対し、最初の一歩を与えてくれるものとなっている。
 最後に、量子実験技術に携わっている研究者も、本書から有用な情報を獲得できることが期待される。特に第8章は、量子計算理論の基礎的な部分から、万能量子計算とクリフォード回路の関係、また量子情報技術が目指す誤り耐性量子計算に必要となる量子誤り訂正符号理論の基礎が分かりやすく説明されている。また、量子シミュレーション、量子ネットワーク、量子暗号など、量子技術の将来的な応用や分野の展望が簡潔にまとまっている。これにより、量子情報科学全体の可能性、及び分野としての方向性を垣間見ることができる。
 この様な、幅広さと深さを併せ持った量子情報技術の解説は、理論的な背景を深く理解しながら、数々の量子系の実験の最先端を押し進めてきた筆者により可能となった業であるといえよう。まとめると、本書は量子情報科学の全容を掴み、具体的でより専門的な知識の習得にスムーズに進みたいと考えている読者、及び研究のスコープをより広げたいと考えている分野内外の研究者に有用な一冊である。

(相関基礎科学/物理)

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   提供 東京大学出版会

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