HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報648号(2023年10月 2日)

教養学部報

第648号 外部公開

<本の棚> なぜ、今アナーキズムが必要なのか 森政稔 著『アナーキズム――政治思想史的考察』(作品社、二〇二三年)による探求

馬路智仁

image648-02-2.jpg 本書は、駒猫をおそらく最も愛し、そして駒猫に最も愛されている著者・森政稔先生の独創的なアナーキズム研究の集大成である*。ここには、著者が長年断続的に発表してきたアナーキズムをめぐる論文―そのなかには修士論文に基づく、初出が一九八六年まで遡るW・ゴドウィン論も含まれる―と、今回新たに書き下ろした複数の論考(序章「アナーキズムとアナーキズム的なものの概念をめぐって」など)が収録されている。いずれの章も、古今東西の政治思想に対する著者の洞察と綿密なテクスト読解に支えられた、きわめて啓発的な内容となっている。少し読み進めるだけでも、通俗的なアナーキズム認識やアナーキストと呼ばれる思想家についての従来の理解が揺さぶられるであろう。したがって本書は、まさに待望の書と言ってよい。
 なぜ、アナーキズムという(特に若い学生には)時代錯誤に映るかもしれないテーマを今日考察しなければならないのか。簡潔に言えば、本書はこの問題に回答しようとする試みと読める。それゆえ本書の狙いは、あらゆる政治権力の否定や直接行動、暴力と結びつけられる「典型的な」アナーキズム(たとえばバクーニンの思想)を復権することでは、もちろん無い。同じく、そうした典型的アナーキズムを正当化するために、あるいは(概ねマルクス主義との相関で)貶めるために、十九世紀末以降編まれてきたアナーキズムの伝統的な知的系譜を再現することとも程遠い。むしろ本書の焦点は、そのような伝統的な知的系譜において周縁化されてきた「初期」アナーキストと呼ばれる思想家にある。本書が主眼とするのは、彼ら初期アナーキストと現代をつなげる作業に他ならない。自己矛盾さえ抱え込む彼らのきわめて独特かつ奔放な構想力のなかに、今日の政治社会や政治理論・イデオロギーの限界について省察するための手がかりがいかに表れているか。本書はこれを照らし出そうとする。

 そのような初期アナーキストとは、「社会」領域を悪のシステムとして前景化させたイングランドの急進主義者ウィリアム・ゴドウィン(一七五六~一八三六)、徹底した個人主義(「私」主義)を奉じたドイツの哲学者マックス・シュティルナー(一八〇六~五六)、「私的所有権とは盗みだ」という誤解された文言で知られるフランスの連合主義者ジョセフ・プルードン(一八〇九~六五)の三人である。さらに著者はここに、右記三人とはやや文脈が異なるが、現代のリバタリアニズムの重要な知的起源であるアメリカのアナーキスト、ベンジャミン・タッカー(一八五四~一九三九)を加える(もっとも、タッカーとリバタリアニズムの間には相違点も多いが、これも本書で論じられる)。

 彼ら初期アナーキストの構想は、今日の政治社会や政治理論のいかなる限界を暴き出すだろうか。また彼らは、私たちにいかなるヒントを与えてくれるだろうか。著者の主張に沿うと、たとえば今日私たちは、自由主義的な資本主義にありながらも、自由主義的な私的所有とは単純に捉えられない所有のあり様を目撃している。家や自動車のシェアの流行や、インターネット世界における(しばしばAIを介した)無数の情報・知識の共有などである。こうした新たな「社会的」所有について精査する上で、所有権のロック的説明から離脱し、その権利の根拠を「個人的判断力(自由な思慮の領域)の確保」に置いたゴドウィンの思考は、一つの参照点となりうる。また、自由主義という個人を最も重視する統治形態も、実は個人の自由との間で不断の緊張を抱えている―統治者を含めいかなる者も、他者の生の意味を本来的に決定できないからである。そのためここでは、自由主義が前提とする自由それ自体を疑う根底的な領域が必要となるが、そうした領域を開く上で、一切の支配を排除しながら社会関係のなかで移ろうシュティルナーの自我(「私」)概念は助けとなろう。

 さらに、プルードンの独特な「メタフィジーク」の秩序論は興味深い。これを背景とするとき、(神に代わる)人間の無窮性は退けられ、相互性と反省という他者との社会的相関のなかでのみ正義や自由が立ち現れることになる。こうした社会的世界は閉鎖的な共同体とも異質である。そのような「有限でかつ開かれた社会」(七七頁)に通ずる論理は、ある種絶対的な正義・自由を謳歌してきたリベラル国際主義(アメリカニズム)への不信が顕在化している今日、国際秩序を根本から再構成しようとする際の哲学的ヒントとなるかもしれない。

 森先生の著書は『変貌する民主主義』(二〇〇八年)に始まりこれで五冊目となる(ちなみにこれら全てに共通するモティーフの一つは、一九六〇年代を境とする世界の見方・論じ方の劇変にある)。いずれも、私たちの思考の臨界を押し広げてくれる作品である。学生・研究者諸氏にはぜひ今回のアナーキズム論も手に取って、想像力を膨らませてほしい。

(国際社会科学/ 社会・社会思想史)

*「猫と東大・コネタ集」『淡青』37号(二〇一八年九月)

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