HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報648号(2023年10月 2日)

教養学部報

第648号 外部公開

未定の遺産 ――シンポジウム「見田宗介/真木悠介を継承する」

市野川容孝

image648-04-1.jpg 本年四月八日、駒場Ⅰキャンパスで、シンポジウム「見田宗介/真木悠介を継承する」が開催された。

 見田宗介先生は、一九三七年、東京生まれ。本学文学部、さらに大学院社会科学研究科(現在は人文社会系研究科)を経て、一九六五年四月、本学部に専任講師として着任。助教授、教授を経て、一九九八年三月に定年退官されるまで、三十三年にわたって駒場で社会学を教え、多くの学生を育てられた。
 かく言う私自身、指導学生ではなかったが、見田先生から多くを学んだ。私が見田先生を初めて拝顔したのは、入学したての一九八三年四月、学友会と東大生協の共催と記憶する新歓講演会において、なのだが、講演者の見田先生は、開始時間になっても現れない。一時間ぐらいして、やっと来て、こういう意味のことをおっしゃった。「何年か前に生活したインドにも時刻表はありますが、列車が何時間も遅れるのは当たり前で、その日は来ないこともあります」「それでも、みんな、次の日に駅にやって来て、また待つんですね」。

 今年の大学入学共通テストでは、試験時間が一分、いや五秒、短かったと問題になって、本学を含むいくつかの試験場で再試験となった。時間厳守は私たちの頃の入試も同じ。見田先生が真木悠介の名前で『時間の比較社会学』を上梓したのは、その二年前の一九八一年。一分、一秒、正確に、と教えられてきた私たちの頭を、見田先生はそうやって、なぜ、そうなるのかも考えさせながら、ほぐしたのである。先生はこうも言った。「東大闘争というのがありましたが、時計台がその象徴となったのには、何か意味があるんだと思います」。

 「翼をもつこと」と「根をもつこと」。見田先生の教えの一つだが、私たちの時間意識の相対化は翼をもつことに相当する。しかし、根を持つことも大切だ。それは何かを、避けて通れない不可欠のものとして引き受けること。近代は近代によってしか乗りこえられない、とも見田先生は言った。

 シンポジウムは、昨年四月一日に亡くなった見田先生の一周忌ともなった。コロナの感染防止に気を使っての開催だったが、出席者は二〇〇名を超えた。朝の一〇時から夕方一八時までの長丁場だったが、途中で帰る人はほとんどいなかった。社会学はもちろん、文化人類学、国際関係論、法学にまたがって、司会を含めて計二〇名が登壇し、そのうち、内田隆三、佐藤健二、浅野智彦、奥村隆、山本理奈、大澤真幸、今福龍太、若林幹夫、小形道正、酒井啓子、芝崎厚士、石川健治、吉見俊哉の各氏の論考は、岩波書店『思想』の本年八月号で特集「見田宗介/真木悠介」として公刊された。同号所収の佐藤健二さん、吉見俊哉さんの論考は、見田先生の別名である真木悠介の誕生を、東大闘争と関係づけて論じている。

 シンポジウムで大澤真幸さんは見田先生の仕事を、明治以降の近現代日本を問題とした第一期(一九七〇年代半ばまで)、近代を相対化する比較社会学の第二期(九〇年代初頭まで)、近代のその先を考える現代社会論の第三期(九〇年代半ば以降)に分けた。この整理を土台に、本学部の斎藤幸平先生が大澤さんと見田社会学を論じた『未来のための終末論』も七月に刊行された(左右社)。

 二〇一五年三月まで、見田先生と同様、駒場で社会学を長年、教えてこられた内田隆三先生は、冒頭の開会の辞で、シンボジウムの核となるものを「未定の遺産」と表現した。これはかつて見田先生自身が日本の戦後史に向けた言葉だ(『現代日本の精神構造』弘文堂、一九六五年)。すでに中身が定まっていて、継承者に創造の余地がない「既定の遺産」ではなく、すでに始められ、手渡されているけれども、それがどのような形になるかは、継承者に委ねられている「未定の遺産」として、見田宗介/真木悠介の仕事を受けとること。江原由美子さんは、別の場所で「見田先生は、なぜ、フェミニズムをあまり理解しなかったのか」と問い、シンポジウムでも酒井啓子さんは「見田社会学は、なぜ、国際関係に十全に届かなかったのか」と問うた。未定の遺産は、そういう問いに支えられている。

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(国際社会科学/ 社会・社会思想史)

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