HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報649号(2023年11月 1日)

教養学部報

第649号 外部公開

夢の人工光合成を目指して

滝沢進也

 光が関わる化学を光化学と呼び、その中のホットな研究課題の一つに「人工光合成」というものがあります。文字通り、光合成を人工的に行おうとする研究です。天然の光合成は緑色植物の葉緑体で行われ、光のエネルギーによって水と二酸化酸素から炭水化物と酸素ができる反応です。光エネルギーを化学エネルギーに変換する反応と言い換えることもできます。しかし、光合成に関与する分子の構造と仕組みをそっくりそのまま人工的に作り出すのは容易ではないことは想像がつくのではないでしょうか。そこで、光合成を忠実に再現せずとも、化学の力でその本質だけを抽出すればよいという考え方が生まれました。それが人工光合成です。実際に、分子や柔らかい反応場でなく、硬い無機半導体材料を使った研究も盛んです。また、取り出す化学エネルギーは、二酸化炭素の還元生成物(炭素資源)に限らず、水の還元で生成する水素でもよいのです。この人工光合成技術が実用化されれば、どこにでもある水と無尽蔵に降り注ぐ太陽光によって大気中の二酸化炭素の再資源化や水素製造ができるようになり、我々が直面している環境・エネルギー問題の解決につながります。本稿では、分子システムによる人工光合成を目指した最近の研究成果を紹介します。

 分子システムに基づく人工光合成には、優れた光増感剤と触媒が必要になります。光増感剤は、光を吸収して電子源から触媒に電子を送り込むポンプのような働きを持つ分子です。植物の光合成ではクロロフィル類(葉緑素)がその働きを担います。一方の触媒は、光増感剤から受け取った電子を使って二酸化炭素や水を高エネルギー物質へと還元します。私は、この中の光増感剤に興味を持ち、太陽光に含まれる可視光を効率よく吸収できる性質や耐久性を向上させるべく、光増感剤の研究を進めてきました。特に、イリジウム錯体と呼ばれる、イリジウムのイオンに有機化合物が結合した分子に魅せられています。光を吸収して生じる高エネルギー状態(励起状態と呼びます)の寿命が長いので電子源や触媒に対する電子のやり取りに都合がよい点に加え、イリジウムイオンに結合させる有機化合物の種類を変えることで物性を調整できる点が特長です。しかし、ある性質を良くすると別の性質が悪くなるといった具合で、必要な性質すべてを満たす光増感剤を一種類の分子で開発するのに悪戦苦闘していました。

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 そこで最近、プラスとマイナスの二種類のイリジウム錯体をクーロン力で近づけてお互いの機能を補わせるという方法を思いつきました(図)。ここでは、プラスの電荷を持つイリジウム錯体をカチオン性錯体、マイナスの電荷を持つイリジウム錯体をアニオン性錯体と呼ぶことにします。選んだカチオン性錯体は、可視光吸収能力には乏しいのですが、二酸化炭素還元反応の光増感剤として比較的安定に働くことが知られています。一方のアニオン性錯体は、光増感剤として単独で利用した場合の耐久性には乏しいのですが、クマリン6と呼ばれる有機色素が錯体骨格に含まれるおかげで可視光吸収能力に優れているものを選びました。それらで構成されるイオン対を合成し、光を吸収して励起状態になったアニオン性錯体から隣のカチオン性錯体へ効率よくエネルギーが移動することを明らかにしました。これは、アニオン性錯体が可視光を吸収して分解につながる状態に変化する前に、速やかにカチオン性錯体の励起状態を作り出せることを期待させる結果でした。カチオン性錯体の励起状態が生成すれば、それが電子源から触媒分子へ電子を送り込んでくれます。実際に、このイオン対を光増感剤とする二酸化炭素還元反応を行ってみると、カチオンまたはアニオン性錯体単独よりも光増感剤として優れることが分かりました。期待通り、安定性に乏しいアニオン性錯体の分解が抑制されたのです。アニオン性錯体が可視光を捕集するアンテナとしてカチオン性錯体を助け、カチオン性錯体はアニオン性錯体の耐久性向上を助けているとも言えます。光増感剤開発の手法としては突飛な発想でしたが、七夕の日に米国化学会誌に論文として発表することが出来ました。この方法の特筆すべき点は、二つの分子が共有結合でつながった複雑な化合物を費用と時間をかけて合成する必要はなく、市販もしくは容易に合成できる適当な分子を持ち合わせていれば、それらを混ぜるだけでイオン対を合成できることにあります。プラスもしくはマイナスの電荷を持つ分子であれば、多様な組み合わせを網羅的に検討することができ、今後さらに優れた光増感剤を探索するための糸口になるものと期待されます。

 とはいえ、人工光合成への道のりはまだまだ長いと言わざるを得ません。現時点では、二酸化炭素を還元するための電子源としてアスコルビン酸(ビタミンC)を投入しています。水の酸化触媒との組み合わせによって将来的には水を電子源とすることが求められ、それを実現しなければ真の人工光合成とは呼べません。しかし、達成が難しい課題に挑戦する方が研究者としてのやりがいを感じます。今後の化学者人生も、天然の光合成を見本にしながら学生と一緒にこの課題に取り組んでいきたいと思っています。

(相関基礎科学/化学)

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