HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報649号(2023年11月 1日)

教養学部報

第649号 外部公開

大江健三郎文庫の発足

村上克尚

 二〇二三年九月一日、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部内に大江健三郎文庫が開設された。これは、二〇二一年一月に、大江家とのあいだに自筆原稿等の寄託契約が結ばれて以来、着実に準備が進められていたものである。

 大江文庫は、三つの要素から構成される。第一は、「自筆原稿デジタルアーカイブ」である。これは、約一万八千枚の自筆原稿・校正刷などをデジタル化し、弥生キャンパスの大江文庫閲覧室で閲覧できるようにしたものである。第二は、「関連資料コレクション」である。これは、『大江健三郎書誌稿』の作成者として知られる、森昭夫氏からの寄贈資料が基盤をなす。大江に関連するあらゆる資料(図書一三六〇点、雑誌二五二八点、新聞の切り抜きや複写資料など)が、大江文庫閲覧室に配架されている。第三は、「書誌情報データベース」である。こちらは、森氏から提供を受けた書誌データをもとに、人文社会系研究科の大向一輝氏が構築したものである。なお、「自筆原稿デジタルアーカイブ」、「関連資料コレクション」は、閲覧室内のみの利用が可能だが、「書誌情報データベース」は一般に公開され、今後の大江研究に大きな寄与をなすものとなっている。

 文庫の利用は、研究・教育を目的とする者に限られている。学生や院生は、指導教員かそれに相当する者の紹介状が必要となる。利用方法の詳細は、大江文庫のホームページ(https://oe.l.u−tokyo.ac.jp/)に記載があるので、そちらを確認していただきたい。

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『同時代ゲーム』(新潮社、1979年)の自筆原稿。1976年に客員教授として滞在した
メキシコ体験を経て執筆され、様々な議論を呼んだ長篇小説。 「第一の手紙」 の
最終稿のタイトルは 「メキシコから、時のはじまりにむかって」 であるが、ここでは
「メキシコから、時の始まりをめぐって」 となっている。

 九月一日当日は、午後三時より、法文二号館一番大教室で、大江健三郎文庫発足記念式典が開催された。司会は、村本由紀子氏が務めた。

 まず、納富信留氏が開会の挨拶を述べた。納富氏は、大江がフランス文学科の指導教員だった渡辺一夫を終生師と仰いでいたことを、文学部をめぐる「最も美しい挿話のひとつ」として語った。そして、大江自身は研究の道を歩まなかったものの、文学部で培われた外国語への感性が、日本語の文体を検討する際の試金石となり、数えきれないほどの推敲を促す原動力になっただろうこと、大江の原稿に表われた手つきには、自分が生み、そして死なせてしまう文字たちへの深い敬意が感じ取れることを語った。最後に、このように生涯をかけて言葉を大切に扱ってきた作家の原稿を預かるということは、文学部が、これからも言葉の力を守っていくことの宣言にもなることを語った。

 藤井輝夫氏は、大江の『読む人間』を引用しながら、文学を読むということは、単に情報を得るということではなく、何度も読み直すということ、精神の働きそのものなのだということを強調した。

 続いて、大江の次男である大江桜麻氏が壇上に登った。桜麻氏は、自分の物心がついたころから、父親の傍らには常に校正用の二色の色鉛筆があり続けたこと、また、自宅のすべての原稿を片付けたつもりで、ふと父親のベッドの横の段ボール箱を開けると「空の怪物アグイー」の原稿が大事にしまわれていたことなど、貴重な挿話を明かしてくれた。そして、原稿が文学研究に寄与すれば遺族としても嬉しい、五〇年、一〇〇年と文庫が続いてほしい、しかし、現在の状況を見れば、一年後の日本すらどうなっているか分からない、このような原稿に何の価値も見いだされないような未来が来てしまうことを憂慮している、と重い問いを投げかけた。

 原稿の受け入れに多大な尽力をした沼野充義氏は、リモートで参加し、大江文学が本質的に世界文学であることを、莫言、オルハン・パムク、カズオ・イシグロらに言及しながら語った。

 文庫の責任者である阿部賢一氏は、改めて文庫の概要を説明したうえで、この文庫の開設を大江本人に見てもらえなかったのは大変残念でならない、しかし、作家は亡くなったものの、今日ここから読むことが始まっていくのだと宣言した。

 一人目の講演者である野崎歓氏は、「大江健三郎とフランス文学」と題して講演を行なった。野崎氏は、「私はいわば魂の喜びをもとめて渡辺〔一夫〕教授の教室に出ていたような気がする」という大江の言葉を引き、大江にとって、東大文学部が大江の言う「根拠地」の一つだったのではないかと述べた。ただし、おそらくは六〇年代にサルトルとパリで対談し、失望を味わったことをきっかけに、大江の「フランス文学からの卒業」がやって来たのではないかと推測した。それでも、『ヒロシマ・ノート』で、「絶望しすぎず、むなしい希望に酔いすぎることもな」く、治療を続ける広島の医師たちの描写には、カミュの『ペスト』からの影響を読み取れるのではないか、その意味で大江は常にフランス文学とともにあったのではないか、と語った。

 二人目の講演者である尾崎真理子氏は、「未来へ つなぐ者として」と題して講演を行なった。尾崎氏は、大江が『文学ノート』で「消すことによって書く」と呼んだ独自のエラボレーションの方法が、原稿のいたるところで確認できることを述べた。ただし、大江文庫が収蔵する原稿は、編集者に手渡された自筆としての「定稿」であり、実際にはそれ以前のメモや下書きなど、推敲はもっと複雑で多岐にわたっていることにも注意を促した。そのうえで、大江が林達夫の逝去に際して書いた「精神の多面体を、未来にどうつなぐか?」という一文を引用し、アカデミズムが批判精神を備えつつ、大江の言葉を未来につないでいくことの重要性を語った。

 最後に、安藤宏氏が閉会の挨拶として、二〇〇七年に大江が東京大学創立一三〇周年を記念して安田講堂で行なった講演「知識人になるために―世界の普遍的な教養を目指して」において、知識人であるために、異質なものを貪欲に取り込んでいくことと、トータルな全体性を希求することを求めていたことを想起し、改めて大江文庫がそのような知の交流の場となることの希望を述べた。

 一人一人の登壇者の言葉から、大江という稀有な作家への並々ならぬ思い入れが感じ取れ、今後の文庫の未来に大きな希望を感じ取れる式典となった。

(言語情報科学/国文・漢文学)

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