HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報650号(2023年12月 1日)

教養学部報

第650号 外部公開

<駒場をあとに> 激流のなかで

前田京剛

image650-02_1.jpg 私が駒場キャンパスに助教授として着任したのは一九九二年四月ですから、恐ろしく長い間駒場でお世話になってきたことになってしまいますが、多くの退職教員が述べておられるように、自分も、緊張の中に着任したのがついこの間のように思われて仕方ありません。アッという間の??年間でした。教養学部着任前は、工学部において、中規模の研究室で助手・講師を務めていました。自分の学位論文を完成させるための仕事を進めながら、途中で勃発した、いわゆる「高温超伝導フィーバー」のために幾つかのプロジェクトにかかわることになり、共著になっている論文の数は順調に増えてゆくのですが、逆に一個一個の論文に対する思い入れというのが相対的に薄れてゆくのを感じ、いったい、自分は何も物もなく人もいないゼロの状態から出発して、研究者としてどこまでやってゆくことができるのだろうか?と日々考えるようになりました。

 そんなときに目に留まったのが教養学部のポストの公募でした。教養学部の基礎科学科(当時の名称)には、鹿児島誠一先生をはじめとして、小規模ながらも質の高い成果を次々と出していた研究室がいくつもあり、様々な専門の教員が一所に集まっていること、また、大学院で自分が主宰する研究室を作れること、そして、後期課程の学部教育・学科運営に加えて、東大入学を成し遂げて志に燃える前期課程の学生諸君に対して講義をする機会も与えられるというのも大変魅力的でした。自分を試すとしたらここだ!と思い、応募したところ、運よく拾っていただき、かつて学生として過ごした駒場での教員としての生活が始まりました。

 真っ新な状態から新しい自分の研究室をつくるというのは滅多にできない体験で、実際とても楽しいものでしたが、振り返ってみて、やはり一人では全く軌道には乗らなかっただろうと思います。優秀なスタッフや学生の皆さん(主に大学院生)に恵まれたことが、欠くべからざる要素でした。研究というのは、なかなか自分が思い描いたシナリオ通りには進まないもので、それが、シナリオ通りに進むと非常に嬉しいものです。が、それ以上に、自分の想定しうるシナリオでは決して到達し得なかったであろうという方向、あるいは結果に到達すると、それはシナリオ通りの結果の十倍、いや百倍も嬉しいものです。そんな体験を何度もさせてもらえたのは、本当に素晴らしいチームメンバーに恵まれたからに他なりません。この機会に彼らがいかに優秀だったかについて一つだけ自慢させてください。私の研究室で博士課程在籍時(或いは進学前)に学振特別研究員に応募した人が二十一人いますが、そのうち十九人が採択されました。打率9割5厘、これは誇ってもよい数字でないかと思います。

 さて、着任時を振り返ると、私の専門分野の物性物理学の研究スタイルも、ここ数十年で激変しました。そのきっかけとなったのは、高温超伝導フィーバーであったことは間違いないと思います。また、コンピューターの普及・性能向上、インターネットの飛躍的発展とそれに伴う通信手段の変化も相まっていることも明らかですが、要するに、研究サイクルの超高速化と研究単位の巨大化、すなわち研究を企画してから、一定の結果が論文として出版されるまでの時間がものすごく短縮化され、激化する競争に対応するために、研究チームの規模が急拡大しました。例えば、物性分野の論文一報あたりの著者数も十人を超えることが普通になってきました。小泉政権時から始まったとされる、行き過ぎた「選択と集中」がその流れに追い打ちをかけました。私自身一定期間その恩恵を被ったこともありますので、一方的に批判できる立場にはありませんが、とにかく、そういう流れの中にあって、駒場キャンパスでの小規模研究室運営(いわば個人商店の経営みたいなものです)のスタイルで、世界での生き残りをかけて「人材を集め、成果を出す→成果をアピールして研究費を獲得する→獲得した研究費を生かして成果を出して、人材を集める」のルーチンから外れないようにするために必死で、気が付くと、研究本来の最も大事な「自然科学の謎解きを楽しむ」ということを忘れかけていたことが何度もありました。

 そんなときに、いつも本来の道へと戻してくれたのは、この駒場キャンパスの諸々でした。学生の皆さんへの講義、秋から冬にかけて毎日のように研究室から見える富士山や丹沢・箱根の山々、そして、最もユニークなのは、オルガンやピアノ・室内楽の演奏会でした。オルガン委員、ピアノ委員をやらせていただいたおかげで、音楽は好きだけど「わからない」私が、世界で活躍する演奏家の演奏を間近に聞くことができただけでなく、演奏会後に会食をしながら、演奏家やゴチェフスキー先生、長木先生といった音楽の専門家のお話し(おしゃべり)を聞くことができたのは、まさに珠玉の体験といってよいでしょう。音楽の専門家だけではなく、様々な専門の委員の先生方と楽しくお話しすることができたのも、普通の委員会では決して得ることのできない、「ザッツ・コマバ」というべき貴重な体験でした。オルガン委員会・ピアノ委員会は、このキャンパスの委員会のなかで、唯一、楽しい委員会でした(アドミニストレーションに多大なご苦労をされている先生方、多謝!)。

 定年退職を前に、改めてこれまでを振り返ると、右を向いても左を向いても、とんでもなく恐ろしい環境でいろいろとやってきたのだと、今更のように気付かされます。学会発表の聴衆や論文の査読過程での戦いの相手は世界の精鋭中の精鋭。また、例えば、前期課程の講義を聴講しているのも、超優秀な学生さんたち。後期課程、大学院も然り。そして、精鋭ぞろいの同僚教員。そんな中で、よくここまでやってこられたなあと、某映画に出てくる「思い起こせば恥ずかしきことの数々」という台詞をしみじみと味わっています。

 この大学院総合文化研究科・教養学部は、東京大学の中でも、大学院重点化の影響を最も激しく受けた部局だと思います。激動の時代はまだまだ続くようですので、そのような流れの中でパワーゲームに翻弄されることなく、どうか、これからも、駒場キャンパスで、ユニークな、質の高い研究・教育が継続されますよう、益々の発展を心からお祈りいたします。長い間、お世話になりました。ありがとうございました。

(相関基礎科学/物理)

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