HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報650号(2023年12月 1日)

教養学部報

第650号 外部公開

<送る言葉> 古き良き時代の面影

塩見雄毅

 昔はこんな良い時代があったのだろうか。私が駒場に着任して前田先生とお話したとき、そう感じました。目に見える「数字」を追い求め、少ないポストを目指して戦ってきた私からすると、牧歌的な前田先生のスタイルは衝撃的でした。良く言えば牧歌的、悪く言えば時代遅れ。派手な雑誌に載らないが科学的に重要なテーマを追求し続ける前田先生は、世代の違う私には新鮮に映りました。美味しい部分だけのつまみ食いでなく、きちんと細かいところまで追求しているからこそ、研究会においても納得できない研究結果には舌戦を挑む。しかし研究会が終われば何もなかったかのように議論した相手とお酒を酌み交わし、一緒に温泉にも入る。このような前田先生のお姿は、私が研究者を目指した頃に思い描いていた(そして喧噪の中で忘れかけていた)科学者のイメージそのものでした。

 前田先生の研究分野は、物質を対象とする物理学である物性物理学の実験、その中でも超伝導の研究です。超伝導は、ある温度以下で電気抵抗が零になる劇的な現象で、物性物理学の華とも言える重要な物理現象であるだけでなく、産業的にも重要で企業でも精力的に研究が行われています。私が生まれた四十年ほど前に一般社会を巻き込んでブームとなった(らしい)高温超伝導体の発見が、若き頃の前田先生の研究人生の方向性を決定づけたことは想像に難くありません。流行が変わるたびに研究テーマをその都度変える研究者が多い中、前田先生は一貫して超伝導の研究を続けられ、多くの卒業生がアカデミックの世界で活躍しています。

 前田先生は教育にも熱心で、前期課程の総合科目の授業で見た超伝導のデモ実験は今でも鮮明に覚えています。デモ実験の内容は覚えていても、担当された教員の名前は覚えていない。それが当たり前だということは教員になった今では私も嫌というほどわかりますが、前田先生の名前は前期課程を修了して専門分野を物性物理学に決めたすぐ後に、再び書籍で目にすることになりました。執筆者の前田先生の名前を、きょうごう?などと勘違いしていた若き頃を思い出します。改めて調べてみても前田先生はこれまでに多くの書籍を出版されています。加えて、同僚になって驚いたのは、統合自然科学科の学生実験のテキストなど、多くの講義のテキスト作成にも貢献されていることです。前田先生は教養学部の前期課程・後期課程の教育に大きな貢献を果たされました。教育を通じて自分自身の物理学に対する知識を深め、そしてそれが研究活動に良いフィードバックとなって研究成果に結びつく。それは大学で研究を行う大学教員にとって理想的な姿だと学ばせてもらいました。

 前田先生は駒場の物性物理学グループの顔と国内で認識されています。また、先ほど研究会での言動に触れたとおり、前田先生は普段は温厚ですが、言うべき事は言う性格で、学科の運営においても重要な役割を果たされてきました。前田先生という大きな存在を失うことは我々にとって大きな痛手ですが、もしかすると逆にいなくなって良いこともあるのかもしれません。前田先生に教えて頂いたことを胸に、より良い駒場を目指して頑張っていきたいと思います。

(相関基礎科学/物理)

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