HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報650号(2023年12月 1日)

教養学部報

第650号 外部公開

<駒場をあとに> わたし、引っ越します

星埜守之

image650-03_1.png 近々引っ越しをしなければならない。さあ大変だ。  駒場Ⅰキャンパス18号館五階の一室に引っ越してきたのは二〇〇七年三月のこと。廊下からドアを開けると、正面にある南側の大窓に面して大きなデスク、東西の壁には天井にまで届こうかというスチールの書棚、部屋の真ん中にはテーブルひとつに椅子二脚。いわゆる居抜きで入ったこの部屋の住人になって、はや十七年になろうとしている。入居当時にはまだ少しは余裕のあった書棚も、いまでは本の山で埋め尽くされ、収まりきらない本や書類はテーブルの上にも積み上げられている。あらたにテーブルひとつ、椅子二脚が加わったのはいつだっただろう。デスクに置かれたコンピュータは、着任時から数えて三代目。それなりに年月が過ぎたことを思う。
振り返れば、わたしの駒場生活は試練の連続だったような気がする。 まずは授業かな。赴任した年に(だったかな)任せられた授業は、一週間のスケジュールで言うと、前期課程科目三コマ、後期課程科目一コマ、大学院一コマ。というのはいい。前任校でも週に六コマの授業を担当してきたし、後期課程や大学院は基本的に自分の専門に寄せた授業だからそんなに問題はない。初修外国語(フランス語)の授業もまあノー・プロブレム。でも、いきなり任された前期課程総合科目の「翻訳論」はちょっときつかった。柴田元幸さんなどが担当してきた枠で、わたしも翻訳家の端くれであるのでトライしたのはいいけれど、そういえばわたしの翻訳の仕事はフランス語から日本語への翻訳。でも受講者全員が共有している外国語は英語。学生に翻訳の案を作ってもらって、それを元に......というのはほぼ無理なので、古今の翻訳論を紹介する講義を準備するために、日曜日にも大学の研究室に行って配布資料を作ったっけ(この授業は二年間で別の教員にバトンタッチ......ふう)。二〇〇九年から大学院の「人間の安全保障」プログラム(HSP)で授業を担当することになった時も、少し戸惑った。人権、平和、人間開発といったコンセプトだけを共有している学生たちになにを提起できるのか。結構まじめに悩んだ。

 大学運営に関わる業務もなかなかのものだ。前期課程のフランス語・イタリア語部会主任から始まって、前期課程外国語委員会委員長、言語情報科学専攻専攻長、教養教育高度化機構アクティブラーニング部門長などを務め、そして現在は、「人間の安全保障」プログラム運営委員長となってもう三年目。なんらかの「長」となって一番気を使ったのは、多分、人事だったように思う(たくさんの人事に関わった)。

 それから、研究指導も。いままで主査、副査で読んだ修士論文、博士論文はいったい何本になるだろう。正確に数えたことはないけれど、最近、小ぶりの段ボール箱に整理してみたら、十箱以上あった。量だけではない。とりわけ博士論文の審査ということになると、副査であっても気を抜けない。それに、そもそも自分の研究分野のど真ん中をテーマにした論文にあたることはそんなにない(そもそもわたしの研究テーマであるシュルレアリスムやフランス語圏ポストコロニアル文学自体がどちらかというとマイナーな領域である)。ましてや、「人間の安全保障」プログラムの論文ともなれば、分野違いは承知の上で、それでも「人間」として真摯に向き合わねばならず、だからといって査読者の「安全」はおよそ「保障」されてはいない。

 と、まずは駒場という場所の宿命みたいなものでもある苦労話から始めてしまったけれども、それ以上に、駒場の十七年には楽しかったこと、ときにはわくわくするようなことがいつもあった。迷いながら準備した授業には、いつも受講生の活き活きとした反応があって元気づけられたし、指導した大学院生が研究者として羽ばたいてゆく姿を見ると、心から嬉しく思う。それに、ここではいつもいろんなプロジェクトが動いていて、わたし自身も幾つかのイヴェントを主催したり、関わったりした。二〇一七年から四年間、やや大きめの科研費プロジェクトを代表として率いたのも大きな出来事だった。あるいは、二〇〇八年にフランスの芸術家のクリスチャン・ボルタンスキーさんに駒場の1号館で講演してもらったこと、二〇一五年に緒方貞子さんを迎えて開催されたシンポジウムで司会をつとめたこと、二〇二三年三月にコートジボワール出身の作家ヴェロニク・タジョさんを迎えたシンポジウムでのコメンテータとして発言したこと等々......駒場での幾多のイヴェントに関われたことはわたしの財産だ。

 そういえば、酒もよく飲んだ。いつもの店といえば、駒下のS。同僚や先輩、大学院生と、ときにさわやかに、ときに深々と盃を重ねた。最近よく言うところの「エクステンション」って具合かもしれない。ボトルはまだ残ってるだろうか。

 名残惜しくもあるそんな日々も、もうすぐ一区切り。というわけで、冒頭の引っ越しの話に戻る。どこへ? どうやって? いつまでに?

 さあ、大変だ。

(言語情報科学/フランス語・イタリア語)

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