HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報650号(2023年12月 1日)

教養学部報

第650号 外部公開

<送る言葉> 時に沿って、しかし――星埜守之さんを送る

森元庸介

 星埜守之さんといえば、「自然体」という言葉が自然にひとの口をつくことだろう。絶えざる微笑を泰然と囲む美髯。束ねられた悠然たる銀髪。だいたいは五月の連休明け頃、星埜さんが鮮やかなアロハをまとってキャンパスを闊歩し始めると、今年も(少し前倒しの)夏が到来したのだと知った。ある昼下がり、北門の方からやってくる様子を見て声をかけると「小一時間ぐらい散歩してきた」と笑う。宴席では杯を重ねながら揺らがぬ大樹のようで、皆は鳥のように木陰に安らい、くつろいでおしゃべりに興じた。

 だが、天衣無縫や豪放磊落とは少しちがう。近しく接した場面をさらに思い返すと、浮かんでくるのは繊細な肌理だ。研究会などの場にはほぼ手ぶら(?)でやって来るが、配布資料を恐ろしい速さで熟読し、時宜を捉えたコメントが核心を衝いて出席者をそれぞれに思索へ引き込んだ。少し勢い込んだ声が上がると、強いて矯めるのではなく、ゆっくりと話題を導きながら、舌足らずや行き過ぎを控えめに指摘した、というよりも、その語り口から自然に周囲が学んだ。それでも、まずはテクストを虚心に読み、動詞の時制や法、あるいは語と語の結びつきを疎かにしないという基礎中の基礎の大切さを口にするときは、厳密な鍛錬を経たクラシカルな文学者としての相貌を隠さなかった。酒精の舞う場でも多弁を控える星埜さんだが、とりわけ日中に訪うとき、ほどよく張り詰める空気を感じたのは、わたしだけではないと思う。

 そうした佇まいの背後に、時間への鋭敏きわまりない感覚があった。テクストの存する時間、書くひとの生きてきた時間、そして、いまそれを読むひとが過ごし、やがてテクスト/書き手のそれと共振を果たすまでの時間。取り交わされる言葉に、いつも視線を少し遠くへ向けながら耳を傾ける星埜さんは、そうした複層的な時間にこそ全身を開き、その複層性が感得されてゆく刻限を、粘り強い信頼とともに手繰り寄せてきたのでなかったか。さらにその向こうには、政治と社会、端的に人間をめぐるさまざまな現場で重ねられた時間が当然のようにあり、ことごとくを説き明かすのでなしに歴史的な場面の核心にぽつりと触れる、他に得がたい折々があった。

 自然であることは、そうあろうとする秘められながら確固たる意志とひとつであり、その自然とは時の流れそのものなのであり、時の流れに身をゆだねる術─今夏のある日、曙光をともに迎えながら、ふと「起きるどんなことも拒んだことはないからさ」と話されたことを思い起こしている─は、その流れの変化に耳を済ませ、声を発すべき時を見極める術ともまたひとつであった。時に沿い、しかし、取り逃されれば二度と戻らぬ一点でこだまを返すこと─星埜さんが比類のない聴き手、そして自身も奏で手としてもっとも大切にしてきた音楽そのもののように。

 駒場を去られることがあまりに惜しく、率直にいえば少し心細い。だが、星埜さんから自然と発された音色はいつまでもわたしたちの周囲に響き続けるはずだ。そのことがなによりも心強い。

(超域文化科学/フランス語・イタリア語)

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