HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報651号(2024年1月 9日)

教養学部報

第651号 外部公開

<送る言葉> テクストを読む人

網野徹哉

 竹村さんと最初に話したのは、一九九〇年の四月だったと思う。当時、僕は、教養学科の助手をしていて、専任講師として着任した竹村さんをお迎えした。その数ヶ月前、駒場に非常勤講師でいらしていたスペイン語文学研究の巨匠、東京外大の牛島信明先生が助手室に現れ、網野さん、今度竹村というのが来ますが、なにしろのんびりした男なのでよろしく頼みますね、とおっしゃった。竹村さんは牛島先生の愛弟子だったのである。

 じつはそれよりずいぶん前の院生時代、僕は竹村さんの姿を拝見していた。僕の指導教官であった増田義郎先生は大学の垣根をまったく気にしない方で、スペイン語に秀でた学生がいると、自分の研究室に招じいれ、テクストを読みながら相互に鍛錬し合っていた。当時外大の院生だった竹村さんも選ばれたその一人で、先生の部屋で、熱気を帯びて書物に頭を突っ込む姿をちらっと見ていたのだ。
 その竹村さんが同僚に‼ スペイン黄金世紀文学研究のホープは、たしかにまろやかな笑みをいつも湛えた方で、僕が同時代のアンデス史を勉強していると知ると、なら読書会をしようという流れが瞬時に定まり、仏の歴史家バタイヨンの大著『エラスムスとスペイン』の西訳版を読むことになった。この会で、竹村さんの読解力の凄味を目の当たりにする。

 僕なぞは、難読箇所に来ても、だいたい意味がわかればいいやと、先に進もうとするのだが、竹村さんは、きっ、とした口調で、駄目だよ、網野さん、テクストの細部を見なきゃ、と言うなり、黙考をはじめる。そして十分くらい経つと、わかった! ここはこうだよ、と丁寧に文章を解きほぐし、素晴らしい訳を案出してくれるのだ。ねっ、こうやって訳すと、網野さんのまとめとはまったく違った風景が見えてくるでしょ、と得意満面。この読書会で僕は、一字一句を疎かにしないという言語読解の基本を毎回赤面しながら学ぶことができた。竹村さんのテクストに向かう姿勢は、それ以降の僕の史料読解の道しるべとなる。
 竹村さんは、一見すると、柔和でのんびりしているようだが、いざという時には、一歩も引かない強さが顔を現す。スペイン語部会は《ディメロ》という独自の教科書を出版したが、編集会議では言語学の上田博人先生らと劇烈な議論を延々と交わし、まったく譲らない。専門を異にする僕は、熱いバトルを楽しく観戦していたものだが、竹村さんは自分に非があることを認めることにきわめて潔く、僕が間違っていました、といつも爽やかに頭を垂れるのである。そういうところが、僕はとても好きだった。

 スペイン語読解の異才は、その後、ピカレスク文学の見事な翻訳を世に問うばかりでなく、オクタビオ・パスやボルヘスなどの中南米文学の難解な作品を精緻な日本語に訳されてきた。そして竹村さんのテクストと向き合う厳しい姿勢は、たくさんの教え子たちにも受け継がれてゆく。
 さまざまな学務から解放されたこれからは、その卓越した読む力によって、スペイン語文学のさらなる深部へと粘り強い旅を続けてゆかれることだろう。その旅のお土産を拝読してゆくことが、至極楽しみである。

(地域文化研究/スペイン語)

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