HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報651号(2024年1月 9日)

教養学部報

第651号 外部公開

<送る言葉> 周縁への温かいまなざし ―中西徹先生を送る言葉―

受田宏之

 中西徹先生は、目立つことが嫌いで、多作な研究者でもありません。でも、二〇〇〇年に経済学研究科から総合文化研究科に移られて以来、駒場キャンパスで確かな存在感を放つ先生でした。
 何より、研究者としてユニークです。経済学の訓練を受けながら、フィリピン、マニラのスラムで住み込み調査を行い、以後も毎年通って全住民の名前を言うことができるそのスラムを思考の拠点とするという、地域研究ないし人類学的な生き方を貫徹してきました。傑作『スラムの経済学(一九九一)』をはじめ、スラム関連の研究のインパクトは大きく、先生がフィリピン貧困層の最も重要な資源とみなす親族間の紐帯を明示するのに用いた社会ネットワーク分析を使うならば、中西先生からの直接的、間接的影響を通して膨大な数の研究者がつながっているはずです。開発経済学は近年、RCT(ランダム化比較試験)をはじめ、工学的、データ・サイエンス的な志向を強めてきました。先生はそれに抗うかのように、現地語の習得など地味な準備の必要とされる地域研究を擁護し、自治など経済効率(成長)以外の価値も考慮するようになり、さらに現今の開発モデルに代わる潜在力を秘めるものとして有機農業の研究も進めてきました。大勢に流されない先生の自由なスタンスは、駒場でなければ難しかったかもしれません。

 教育面での中西先生の比類なき功績として、授業としての海外研修プログラムが制度化される以前から、自分の研究フィールドを訪れるフィリピン・ツアーを毎夏実施してきたことが挙げられます。ツアーへの参加を通じて、開発の研究や実践に将来携わることになる卒業生が多数輩出されただけでなく、そうでなくても、遠方にいる恵まれない人びとのことを深く考えるようになり、そうした人びととの交流から豊かな学びを得られることに気付いたはずです。スラムの住民も、普通なら接点を持ち得ない日本の大学生を受け入れ、刺激を受けてきたので、ツアーは「社会貢献」の側面も持ちました。

 中西先生の指導方針は、確立され成果の出やすい手法を勧めるのではなく、学生本人が自身に合った独創的なやり方を見出すのをゆっくり待つというものです。「無駄」を嫌がるご時世ゆえ、こうした方針が合わない学生もいる反面、救われた学生が多かったのも事実です。駒場に移られてからしばらくは、学生委員会の委員長として駒場寮問題の前面に立つことになり、大変だったと漏らされていた記憶があります。しかし、寮の存続を訴える側も、中西先生のことを信頼できる交渉の窓口とみなしていたはずです。

 退職後も、フィールドに一定期間滞在しつつ、誰にも真似のできない研究を発信していただきたいです。また、フィリピンにいらっしゃるときは、学生を連れていく機会を設けますので、変わらぬ優しい笑顔で迎えていただけたらと存じます。お疲れさまでした。

(国際社会科学/スペイン語)

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