HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報651号(2024年1月 9日)

教養学部報

第651号 外部公開

<送る言葉> 表象の「英雄」として

一條麻美子

 駒場を体現する人物のひとりである田中純さんが、その駒場を去る日が近づいてきた。この場をお借りして、長年同僚であった私の目から見た田中さんの姿を書き記しておきたいと思う。
 若い頃の田中さんは、とにかく恐かった。「寄らば切る」といった風情で、周りの空気がピリピリと見えたほどだ。例えば論文口述試験、学生が要領を得ない答えをしていると、田中さんは手にしたボールペンで神経質に机をカチカチと叩き始める。私たち教員が「来るぞ!」と身構えていると、その口から容赦ない批評が弾丸のように繰り出される。私たちは学生さん頑張ってねと心の中で励ましつつ、嵐が過ぎ去るのを横から見守ったものだ。

 田中さんが笑うのを見たことがないという学生もいた。授業の合間に、思い出し笑いなのか田中さんの口元がふと緩んだときには、クラスのMLに「田中先生が笑った!」と流れたこともあったそうだ。
 しかしそんな田中さんもだんだんと温和になり、論文審査での批評も、相変わらず厳しくはあるが、学生へのフォローが加わるようになった。私たちは「田中さんも歳を取って丸くなったね」などと言っていたが、それだけではなかったように思う。
 田中さんが若手教員だった頃、表象には研究室創成期の先生方がまだ現役でおいでになった。田中さんが「やんちゃ」でいられたのも、それらの先生方が圧倒的な権威として存在していたからだったろう。田中さん自身が権威とならざるをえなくなったとき、彼はもはや「寄らば切る」を続けてはいけないと覚悟を決めたのだ。表象創成期の先生方のことを私たちは「神々」と呼ぶのだが、その神々は去り、黄昏の時代が訪れたのだ。

 そんな時代にあって田中さんは、神々の後を継いだ「半神半人」の英雄的存在gだった。建築、美術、イメージ、政治、ロックと、田中さんはおよそ考えつく限りの「怪物」を屠り、その成果を天上に星座として掲げ続けた。神々が創造した表象文化論という天空にそのようにして星図を描き、後から来る「人間」たちに表象文化論の方向性、可能性を示したのが田中さんであった。  また田中さんは研究の傍ら、あり得べき大学のあり方、学術界のあり方、世界の、人間のあり方について、さまざまなメディアを通して発信を続けてきた。その発信は常に正論で、多くの人々の指針となってきたが、正論はなかなか通らないからこそ正論なのだと思い知らされることもあったかと思う。それでも倦むことなく、時に血を流しながらも語り続ける田中さんに勇気をもらった人は、学内外を問わず多かったのだ。

 最後にプライベートなことを少しだけ。田中さんは著書の後書きに必ず奥様への謝辞を添えられる、そして私たちは、それが単なる形式ではないことを知っている。内助の功などと古いことを言うつもりはない。駒場で出会ったご夫妻の軌跡は、ほぼ田中さんの研究生活の歴史と重なっている。彼らは駒場を舞台に二人で「田中純」という作品を作り上げてきたのだ。今後も場所を変えてお二人の仕事が長く続くことを祈りつつ、ひとまずは田中さんの駒場「卒業」をお祝いしたいと思う。

(超域文化科学/ドイツ語)

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