HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報652号(2024年2月 1日)

教養学部報

第652号 外部公開

ガザを徹底攻撃する3つの背景と歴史的教訓

鶴見太郎

 なぜイスラエルは、国際社会の批判をものともせず、ガザに対する市民の犠牲も厭わない、あるいは市民の多くを戦闘員の予備軍と見るかのような、徹底した攻撃と厳格な封鎖を続けるのか。その背景は、安全保障通を自任してきたネタニヤフ首相のもとで、過去最悪の市民の犠牲が出たことによる焦りだけではとても説明できない。主として三つの背景を根本的な要因として指摘したい。

 第一に、イスラエルを支えてきたナショナリズムであるシオニズムが発展する過程で培われていった孤立主義的な自助主義である。シオニズムは、一八八一年にロシア帝国(当時の世界のユダヤ人口の中心地)支配下のウクライナ南部で発生したポグロムがきっかけとなって始まった。ユダヤ人に対する虐殺・打ちこわし事件を意味するポグロムは一九〇三年から〇六年にかけてさらに広範に発生した。一九一八年に始まる内戦期にはいっそう拡大して、六万人から二〇万人とも推定されるユダヤ人が死亡し、多くのユダヤ人女性がレイプに遭い、ユダヤ人の家々が破壊・略奪された。
 ところが、当局はユダヤ人を救済せず、アメリカやドイツをはじめとしたユダヤ人同士の相互扶助で乗り切るしかなかった。この過程で、シオニストを含むユダヤ人の自助組織が拡大することになる。国際社会が支援していれば、この動きは限定的だったかもしれない。
 当時のユダヤ人にとって、旧ロシア帝国に残り続ける以外の最大の選択肢は北米を中心とした移民であるが、非ユダヤ人への不信感を強め、自力でユダヤ人を解放するしかないと考えた者こそが、シオニズムを選択したのだった。

 第二に、9・11以降のアメリカでも拡大し、担当省も設置された「国土安全保障」という考え方や実践は、イスラエルにおいては、かなり前から定着している。一九六七年に西岸・ガザをそれぞれヨルダンとエジプトから奪取し、占領を開始したイスラエルは、特に一九八七年のインティファーダ(パレスチナ人の蜂起)以降、パレスチナ人を直接統治するのではなく、彼ら自身に統治させ、コストを削減することを模索し始めた。自治政府に西岸・ガザを一部統治させることにしたのは、イスラエルがオスロ合意(一九九三年)に込めた思惑の一つである。
 一九四八年以降もイスラエル国内に残ったパレスチナ人に対しては、イスラエルは国籍を付与し、個人としては法的に平等に扱った点で、個々人を包摂(懐柔)する方向にあった。ところが、占領地に対しては、とりわけ八七年以降から、個々人ではなく人口として一括して扱う傾向を強めていった。
 つまり、パレスチナ人の、人間としての多様な事情や意向を加味しながら交渉するのではなく、日常の仔細は自治政府に丸投げしたうえで外側からパレスチナ人を一括し、生物の一種であるヒトとして、その行動を縛り、監視するようになったのだ。イスラエルに刃向かうことを未然に防ぎ、また刃向かった場合も即座にそれを防御するという、もはや「統治」でさえない「制御」という観点のみが残ることとなった。占領地のパレスナチ人にはイスラエルの軍法が適用されている。
 西岸では、オスロ合意以降も拡大を続けたユダヤ人入植地を守るために様々なチェックポイントやロードブロック、分離壁やフェンス、監視塔や監視カメラが張り巡らされ、パレスチナ人の日常生活に大きな制約が課されてきた。ガザも二〇〇五年の入植地撤退までは同様の状況にあったが、二〇〇七年に始まる封鎖以降は、ガザは外側からその人口をまとめて制御されることになり、大々的な空爆も受けることになった。
 付言しなればならないのは、こうした実践のなかで培われたイスラエル軍や企業の技術が、アメリカをはじめとした「対テロ戦争」に躍起となる諸政府だけでなく、湾岸諸国を含めて、様々なレベルでセキュリティ技術を欲している市場において称揚されてきたことである。日本の企業や大学も、ハイテク産業で鳴らすイスラエル国家に対して、近年では無批判に接近するようになっていた。各国の国益追求競争に歯止めがないとそのようなことが起こっても不思議ではない。

 第三に、そのようにして月日が経つうちに着実に勢力を伸ばしていった宗教シオニストの存在である。現ネタニヤフ政権が史上最右翼政権と呼ばれるのは、彼らのなかでも過激な部類の政党が連立入りしているからである。宗教シオニストは、主流である世俗的シオニストと違って、もとはユダヤ教界隈のテコ入れのため、のちにイスラエルの戦争(特に六七年)での勝利に触発されながら、ユダヤ教の文脈でシオニズムを解釈し、伝統的なユダヤ教にはなかった土地の排他的所有への執着を見せるようになった。世俗的なシオニストにはありえた妥協の余地を彼らは持たない。

 以上のように、建国の礎としての徹底した自助主義、人口の制御を旨とする国土安全保障というイデオロギー、そして時にイスラエル政府さえ手を焼く過激な宗教シオニストの伸張の三つ巴の結果、ガザの「反乱分子」を最大限広義で捉えて潰すという姿勢は、揺るぎないものとなっている。

 だが、イスラエルの姿勢がこのようになってから慌てたところで、国際社会が打てる手はきわめて限られている。一八八一年からは一世紀半近くの時間があったはずだ。場当たり的な対応では今後何十年と同様の事態が繰り返されることを予測せざるをえない。長期的な観点から継続的にこの問題に取り組むことが、国際社会に課された責務である。

 その際、私が考える最大のポイントは、論壇を賑わせがちな加害者の糾弾よりも、今回のものを含むこれまでの被害者(ポグロムにしてもナクバにしても)に国籍にかかわりなく可能な限り支援を行うことである。加害側の当局が自国民以外を支援することは期待できない以上、国際社会が一時的にであれ引き受ける必要がある。加害国を裁くハードルは高いが、被害者の支援なら、市民レベルで一人が一人に対して始めることができる。それは長期的には被害者同士による孤立主義・自助主義を押しとどめ、そこから生まれる突飛な思想が蔓延る余地も減じていくことになるだろう。

(地域文化研究/国際関係)

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