HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報652号(2024年2月 1日)

教養学部報

第652号 外部公開

<駒場をあとに> 駒場での生活を振り顧る

渡邊雄一郎

image652-2-01.jpg 最近アドミニ棟、900番教室、KIBER棟、キャンパスプラザ周辺にある木々を眺め直している。私が東大に入学した当時からこうした木々の足元を行き来していたはずである。私が教員として赴任して駒場に戻ってきたのが二十七年ほど前の一九九七年の四月である。赴任してみるとキャンパスにもうないと思っていた駒場寮が残っていた。早速学内業務として学生委員に指名され寮関係の対応にあたった。二〇〇一年の明け渡し強制執行の日には風雨の中、ヘルメットをかぶって敷地内に入った。もぬけの殻となった建物から外を見たときに、雨上がりにメタセコイアの木を見たことをはっきりと記憶している。厳しい顔をした人々を木々はどのように見ていたのか。今は生協、キャンパスプラザの空間として再構築され、すっきりとした空間となり、快活に語りあう学生の姿を眺めているのだろう。一方でこの五十年近くで木はどのくらい成長したのか知りたいものだ。

 前期部会は生物、大学院は生命環境科学系として研究室を主宰することを願って駒場に赴任した。さらに所属した後期課程の生命・認知科学科では立ち上げる前の準備役を担当した。最初半年ほどは、かつてあった4号館(直に解体されたので現存の建物番号としては欠番となっている)の二階に研究室の仮住まいをした。部屋には什器から電話機、ネットの配線も含めて何もなかった。本当に綺麗に何もない空間に降り立ったのだった。その状況にありながら事務方からは早くネットを繋いでくださいと言われて困惑したが、当時おられた先生がたが親切な手を差し伸べてくださった。三層構造をはじめ駒場組織についてわかるようになるには時間がかかった。半年ほどで16号館Ⅱ期棟が完成し、今日に至るまで居住することとなる今の研究室スペースに落ち着いた。在籍中、植物を対象として環境応答論という看板を掲げ、RNAという遺伝物質に注目しながら研究を行なった。植物が高温、日長の変化といった環境ストレスを受けた後、様々なRNAを駆使して柔軟に適応している姿を見ることができた。ゆっくりとしたペースで成長するように見える植物であるが、環境変化に対して、巧みな遺伝子発現制御をして生きていく姿を助手・助教、多くの大学院生の研究活動のおかげでここまで感じてくることができたことに感謝したい。ここ七年ほどはゼニゴケという材料を用いて、陸上に植物が誕生してから四億年という時間軸を思い描き、植物がこの時間スケールでどのように進化したのかという謎解きをする楽しみを味わった。

 今一度生命・認知科学科について触れたい。理系――生命科学分野のグループと、文系――人間行動・認知行動グループが一緒になり、いわゆる文理融合の形が作られた。私はこの新設学科で生命科学各分野について体感しながら学べるように、担当者を考慮しながら項目を選び、学生実習のプログラムを決めていく作業に関わった。その後生命・認知科学科は十五年間ほど卒業生を輩出したのち、教養学部の後期課程改革によって、生命・認知科学科と基礎科学科の再統合という形で、二〇一三年以降現在の統合自然科学科の体制へとつながった。特定分野にとどまらず、自然科学をより分野横断的に学べる学科体制ができるまでの一連の流れを経験することができたことになる。
 駒場在籍中は放射線取扱主任者、教養教育開発機構、研究科長補佐、博士課程教育リーディング大学院多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)、副研究科長、PEAK/GPEAK統括室長、教養教育高度化機構社会連携部門などでも業務を務めさせていただいた。駒場の多くの方にお世話になり感謝申し上げたい。アクティブラーニングの導入や世界スタンダードから東大の教育を真正面から考える機会も多かった。その間、社会の変化、学生の気質も変わっていくことを見ながら、いかに大学教育はあるべきか考えていくことは終わりがない永遠の課題であると感じている。

 駒場での学生と交えての教育・研究を通じて思うのは、分野横断――学際的な研究・教育環境はまさにこれからの社会に必要とされるということである。駒場のようにいわゆる文系理系の研究者が身近にいる環境は他にはなかなかない。最近生命科学の分野の科学誌で、人間活動、歴史に立脚したテーマ設定がされているものが目につくようになった。アフリカ系アメリカ人作家であるアレックス・ヘイリー氏によって書かれた『ルーツ』という小説がある。主人公はアフリカ人で奴隷として北米に連れてこられて、その後の人生と子供たちの人生が描かれている。この物語のように、現在のアフリカ系アメリカ人の方々と、現在のアフリカ人の集団に対して遺伝子研究が行われどのような地域の人が移動したかが見えてきた。また農作物が人の移動とともに原産地からどのように世界に広がったのかなどの話題がみられるようになった。このような研究の着想は理系文系という境界を乗り越えてこそ生まれるものである。

 考えてみればこの四年間RNAウイルスであるSARS-CoV2が人間社会に大いなる変化を促した。さまざまなディジタル化が進み、オンライン授業を始め様々な変革がもたらされた。またmRNAワクチンという技術は、RNA研究をしていた身としても気づかなかった発想であった。まさか抗原タンパク質の代わりにそれをコードするmRNAを我が身に注射するようになるとは思っていなかったのである。

(生命環境科学/生物)

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