教養学部報
第652号
<駒場をあとに> その草深野
品田悦一
文科三類の一年生だったのだから、一九七七年のことである。初夏だった気がする。稲岡耕二先生の授業で中皇命の「宇智野進上歌」を習った。
天皇内野 に 遊猟 したまふ時に、中皇命、
間人連老をして献らしめたまふ歌
やすみしし我が大王の、
朝には取り撫でたまひ、
夕にはい 縁り立たしし、
御執らしの梓の弓の、
中弭の音すなり。
朝猟に今立たすらし、
夕猟に今立たすらし。
御執らしの梓の弓の、
中弭の音すなり。
反歌
たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
(万葉・巻一、三~四)
万葉の古歌にこうも瑞々しいリフレインがあるのかと驚いたり聞き入ったりするうちに授業は終了、余韻に浸りながら銀杏並木を抜け、当時住んでいた駒場寮の一室へ戻った。風の強い日で、窓の外では伸び放題に繁った草がさかんに揺れている。ひときわ目を引く一群は人の背丈ほどもあって、葉が翻るたびにちらちら陽を反射する。たぶん葛の葉のように裏が白い毛で覆われているのだろう。しかし地面に直立しているから葛ではない。なんという草だろう。せわしない葉裏の輝きに見入るうちに、「その草深野」という、覚えたての句が自然に口を衝いた。飛び交う光に攪拌されて時間が沫立っている――全身がそんな幸福感に包まれていた。
四半世紀を経て、駒場の教師になった。久しぶりに訪れたキャンパスには、名を知らぬあの草がまだあちこちに自生していた。さっそくネット検索し、「苧麻」と突き止めた。植物としてはイラクサ科だが、繊維を糸にする目的で古くから栽培されてきたため、麻の同類のように扱われるという。すると駒場農学校の置き土産か。確かめようとしかけて行き詰まったまま、つい今日まで来てしまった。
もう一つ残念なのは、学内清掃がなまじ行き届いてきたことだ。苧麻も虎杖もまだ伸びきらないうちに電動器具で刈り込まれてしまう。コロナで構内が完全封鎖されたころ、ホッケー場脇の土手に「草深野」が復活しかけたものの、葉が蛾の幼虫に食い荒らされて無残な姿を 晒していた。
今年度春の理科生用「日本語日本文学Ⅰ」で宇智野進上歌を取り上げた。かつて稲岡先生の授業で西郷信綱説に接したときには、古典の解釈とはかくも鮮やかな作業かと感服したものだが、今回の授業ではその西郷説の難点を指摘したうえで、長く黙殺されてきた折口信夫説をこそ顧みるべきであるとした。
西郷氏は、「朝猟」にも「夕猟」にも「今」立つ点を「今」の分裂と非難する見解に反論しつつ、「朝猟」「夕猟」とは両極を提示して全体を表わす古代的修辞法の一例で、「今立たす」とは何日も続く宇智野での猟へと宮廷を「今」出で立つ意だろう、と解したのだった。また、弭の音は矢を放つのではなく、出発の儀礼として弦を打ち鳴らすのであり、そのさい尊貴な女性が歌で言祝ぐならわしがあったのだろうと説いた。
だが、「音すなり」の「なり」は聴覚推量の助動詞である。何の音か判断がつくことを表わす語で、音源が見えていないときに使う。作者は鳴弦の所作を見ていないことになるが、猟の成功を祈って一行を送り出すのが目的なら、なぜ儀礼に直接立ち会わないのだろうか。言祝ぐ歌なら大君に自らお聞かせすればよさそうなものを、わざわざ代理人に託したのは何が差し支えてのことか。
折口氏は、宇智野で天皇が弓を射る音を都の作者が幻聴として聞いていると読んだ。宮中に残って一行の無事を念じている作者の耳許で、聞き覚えのある弓弭の音が朝も夕も鳴り響く――身は遠く離れていても魂は行き来するものと見えて、猟に興じておられるありさまがまざまざと感じられます、ということであり、こう解してこそ、メッセンジャーに猟場まで伝えに行かせたいきさつも腑に落ちる。主上の笑みを誘うけなげな留守居ぶりであった。
『万葉集』を成り立たせたのは、天皇を頂点に戴く身分制の社会である。万葉の歌人たちは、人民を支配する側に立って天皇に仕えることを誇らしく感じていた人々であり、彼らの美意識や想像力もそういう社会のあり方と不可分だった。裏返せば、万人の平等を原則として営まれる社会からは、今読んだような歌は生まれようがない。だからといって、私たちは万葉時代には二度と戻れないし、戻るべきでもない。万葉の歌々が美しいのは、何よりも歴史の不可逆性に裏打ちされているからなのである。この美しさにはまったくかけがえがない。
『万葉集』を"天皇から庶民まで"の作からなる国民的歌集とする通念は、今から百三十年前、近代国家の理念を押しつけるようにして創出された幻想である。一件を解明したのはかく言う私だが、「解明するまでもなく」と評すべきだろうか、世紀の変わり目ごろから当の幻想が吸引力を失い、そのためもあって研究人口が減少の一途をたどっている。この状況を前に、以前の私はただ悲観するほかなかったのだが、ここ数年、友人でもあるUCLA教授の著書を翻訳しながら、「むしろ望むところだ」と思うようになった。幻想に釣り込まれた手合いなどお呼びでない。「国書」扱いを虚妄と見抜ける人だけが『万葉集』と付き合えばよい。読者は減り続けるだろう。『万葉集』は、しかし、これからも、細く、長く、そしていっそう豊かに読み継がれていくに相違ない。
ちなみに、友人の著書とはトークィル・ダシー『万葉集と帝国的想像』である(花鳥社、二〇二三年十一月)。「一読を乞う」と言い添えて、駒場への遺言とする。
(言語情報科学/国文・漢文学)
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