HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報652号(2024年2月 1日)

教養学部報

第652号 外部公開

<送る言葉> 松本久義先生を送る

小林俊行

 松本久義先生を、私はいつも「松本さん」と呼んできた。此処でも「松本さん」と書き「先生」を付けないことにする。「松本さん」と呼ぶ方が、学生時代に知己を得た私にとって親しみがあり、より大きな存在であるからである。

 初めて松本久義さんとお会いしたのは、ちょうど四十年前、伊豆で行われた表現論シンポジウムのときだった。学部学生だった私は、講演中はともかく、見知らぬ諸先生方や他大学の博士課程の院生の方々が談笑している休憩時間が苦手だった。当時、博士課程の二年生だった松本さんは、ぽつんと一人でいる私に気づき、いろんな先生に引き合わせくださった。松本さんは、その当時から現在にいたるまで、とびきり親切な方である。

 そこから約二年後、私は東大に奉職し、松本さんはMITの大学院に留学された。同じ時期に留学されていた外国人の数学者から、松本さんは院生というよりは教師のように何でも知っていて、MITの大学院生の質問に答えている、という話を聞いて嬉しく思った。松本さんは、日本で発展した技法をアメリカで流行っているテーマに適用して、米国留学中に華々しい結果を次々と挙げられた。夏休みになると帰国され、いろいろなお話を伺った。

 その後、私はプリンストン高等研究所に招聘され、ニューヨーク州立大学ストーニー・ブルック校でポスドクをされていた松本さんの"近く"に住むことになった。"近い"とはいっても、広いアメリカのことであり、片道四時間ほどかかる。そこで日曜日のお昼過ぎに二人の中間地点のマンハッタンで会うことにした。数学を語り、有名とは限らない博物館を訪れ、食事をする。のどかで楽しいひと時は、二週間に一度という習慣になり私が帰国するまで続いた。既に数年間アメリカで留学されていた松本さんは、アメリカ生活についてもいろいろとアドバイスしてくださった。ちょうど東大では本郷と駒場の数学教室が合併して新しく大学院数理科学研究科という組織を作る動きがあり、日本では関係者が大変な時期を過ごされていた頃である。

 数年経って、新設された数理科学研究科にポストができ、松本さんをアメリカから駒場に呼び戻すことができた。同僚になってからはあっという間に時間が経過した気がするが、二十代のときと変わらず、松本さんは、親切で、専門分野のことは広く何でも知っていて、率直にものを言い、教えるのが好きな先生だ。松本さんに恩恵を受けた多くの後輩を代表して、心からお礼を申し上げたい。


(数理科学研究科)

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