HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報653号(2024年4月 1日)

教養学部報

第653号 外部公開

多元的な視点からよりよい社会へ

総長 藤井輝夫

image653-1-01.jpg 新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。みなさんの学びと成長のスタートを共に祝えることを嬉しく思います。大学での学問は、たんなる知識の積み上げではなく、未知に挑む真理の探究です。

 科学の長い歴史の中で、人は対象を新たに見つけ、観察し、分析の手法を考案し、世代をこえて知見を蓄積してきました。ニュートリノという極小の素粒子は、東京大学が建設した実験装置カミオカンデによりはじめて、その存在が確認されました。その観測は無限大の宇宙の謎を解き明かすもので、そこから「ニュートリノ天文学」という学問分野が確立しました。また、昨年のノーベル物理学賞で広く知られるようになったアト秒パルス(一アト秒は百京分の一秒)を用いれば、瞬間的に応答する物質の中の電子の動きを捉えることができます。この技術は「アト秒科学」を生みだし、化学反応の理解を深める新たな分野の開拓が期待されています。さまざまな次元で世界を観察するまなざしの精度を向上させ、異なる視点が結びつくことで学問は発展してきました。

 人間や社会を考える際にも、精度を上げて観察し、多元的に分析することが求められます。人々を理解するには、「セクシュアリティ」「世代」「国籍」「ジェンダー」「社会経済状況」「地域」など、相互に関係する複数の要素を分析する必要があります。ある人は、特定の側面でマイノリティの立場にあったとしても、別の側面ではマジョリティとしての特権を持つかもしれません。一方で、複数の側面でマイノリティ性を持つ人々の立場の弱さや受ける差別を、単なる足し算で捉えるのも不十分でしょう。多くの側面を貫いて作用する力を分析する枠組みとして、インターセクショナリティ(交差性)という概念が提起され、社会問題を分析するのに用いられています。多次元の把握から導き出される答えは、必ずしも一つではありません。疫病への対策、国家間の関係、経済政策などの社会課題に対して、唯一の解の押しつけはむしろ分断を招くものでしょう。多様な属性の人々に思いをはせ、合意形成を目指す姿勢が重要なのです。

 私たちの身の回りにも、同じ課題があります。東京大学の入学者には大きな性別の偏りがあります。女性の学生が受験しても合格していないのではなく、受験する女性が少ないという事実が、まず問題になります。東京大学自体の環境が女性たちをはじめ、多様な学生を迎え入れるものになっているのか、私たちみんなが問わねばなりません。さらに日本社会には、まだまだ女性の進学や社会での活躍を妨げるような考え方が存在しています。このように、特定の属性をもつがゆえに等しい機会を得られずに排除され、あるいは人一倍の努力をせざるをえない状況は、「構造的差別」と論じてよいでしょう。

 構造的差別は、ジェンダーだけではありません。「障害の社会モデル」という言葉があります。障害は身心機能の不全という個人の特性に還元できるものではなく、むしろ受け入れようとしない社会によって作られたものであり、社会にはその障壁を取り除く責務があるという考え方です。そこにおいて、社会的な排除、制度的な障壁や偏見が問われます。東京大学はこの考え方を重視し、合理的配慮のもと多様な構成員の学習環境を整備する方策を進めています。社会にはさまざまな構造的差別が存在します。この構造は自然には解消されないので、私たちがそれを認識し、自省し、アクションを取る必要があるのです。

 みなさんはこれから、東京大学という社会に身を置くことになります。東京大学は二〇二二年に「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」を制定し、多様性が尊重され包摂される公正な環境の実現を目指しています。これからみなさんが通う駒場キャンパスでは、多様な授業を通して他文化に触れる機会が豊富にあるでしょう。インターセクショナリティ、人種、ジェンダー、法律、障害、政治などに関する科目も開講されています。女性や性的マイノリティを含む多様な学生が安心して交流できる駒場キャンパスSaferSpace(KOSS)というコミュニティもあります。意識して、多元的な視点を獲得してください。答えがないかもしれないし、あったとしても一つではないかもしれませんが、あきらめないで下さい。

 みなさんのなかの多くは将来、構造的差別の恩恵を受ける側に位置することになるかもしれません。しかし構造を知る者は、同時に、その構造を変える力を持ちます。自分とは異なる属性や関心や能力を持つ人々と対話することで、内なる偏見や先入観に気づくこともできるでしょう。知識を求め、友情を育み、挑戦を恐れず、自らの力と可能性を信じて進んでください。多様な人と出会い、多様な知に触れることで、多元性に思いを馳せ、よりよい社会への変革を導いてほしいと思っています。躊躇せず、のびのびと大学生活を楽しんでください。

(東京大学総長)

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