HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報653号(2024年4月 1日)

教養学部報

第653号 外部公開

タンパク質が形をつくる仕組みを正確に予測する理論の開発

大岡紘治、新井宗仁

 私たちの体は約二万種類のタンパク質によってつくられており、それらは筋肉、臓器、毛髪、骨、皮膚などを構成するほか、体に必要な物質をつくる酵素や、ウイルス感染を防ぐ抗体などとして、生命維持に重要な働きをしています。タンパク質は二十種類のアミノ酸が平均して数百個つながった長いひも状の分子であり、ある部分はらせん状に、ある部分はひだ状に折りたたまれ、それらが集合して特定のコンパクトな形をつくることで機能を発揮します。しかし、タンパク質は複雑な形をしているため、タンパク質が折りたたまれていく反応(折りたたみ反応と呼ぶ)の過程、つまり、タンパク質が形をつくる仕組みの理論的な予測は困難であり、長年の未解決課題となっています。

 これまでに百種類以上のタンパク質の折りたたみ反応が実験によって詳細に調べられてきました。これらのうち百個以下のアミノ酸からなる小型タンパク質については、その折りたたみ反応を予測できる物理学の理論「Wako-Saitô-Muñoz-Eaton(WSME)モデル」が一九九九年に提唱されました。この理論では、タンパク質の形を指定すると、タンパク質がその形へと折りたたまれていく経路を示す「地図」を描くことができます(図)。この地図の等高線は自由エネルギーという物理量を表すことから、この地図は「自由エネルギー地形」と呼ばれます。タンパク質の折りたたみ反応は自由エネルギーが低くなる方向へ進むため、タンパク質が折りたたまれていく経路や途中の形などを、この地図から包括的に理解できます。しかし、従来のWSMEモデルでは、百個以上のアミノ酸がつながった大型タンパク質の自由エネルギー地形をうまく予測できませんでした。多くのタンパク質は大型タンパク質ですので、それらが形をつくる仕組みを予測する理論の開発は重要な課題です。

 そこで我々は、あらゆるタンパク質の自由エネルギー地形を予測できる理論の開発という二十年来の難問に挑戦しました。従来のWSMEモデルでは、タンパク質というひもの上で近くにあるアミノ酸の間に働く力(局所的相互作用)が重視されていました。しかし大型タンパク質では、タンパク質というひもの上で遠く離れたアミノ酸の間に働く力(非局所的相互作用)も重要なことが、我々の以前の実験などによって明らかになっています。そこで、WSMEモデルに非局所的相互作用を取り込んだ新たな理論「WSME─Lモデル」を構築しました。さまざまな大型タンパク質にこの理論を適用したところ、それらの折りたたみ反応を調べた実験結果と合う自由エネルギー地形を予測できました。つまり、タンパク質が形をつくる仕組みを正確に予測する理論の開発に成功しました。また、この理論によって、小型タンパク質についても予測精度が向上し、実験結果の細部まで再現可能になりました。

 細胞の外に分泌される多くのタンパク質には、ジスルフィド結合(SS結合とも呼ぶ)という分子内架橋が存在しタンパク質を安定化しています。SS結合が折りたたみ反応の途中でつくられる場合には反応が複雑になるため、従来のWSMEモデルでは、この反応を正しく予測できませんでした。そこで、SS結合の形成を伴う折りたたみ反応を正確に予測できる理論「WSME─L(SS)モデル」を開発しました。また、SS結合が折りたたみ反応の最初から既にできている場合には、タンパク質の形が複雑になるため、反応の予測がさらに難しくなりますが、その場合にも適用可能な改良型WSME─Lモデルも開発しました(図)。このように、新たに開発したWSME─Lモデルは、小型タンパク質から大型タンパク質まで、またSS結合の有無に関わらず、多様なタンパク質が特定の形へと折りたたまれていく仕組みを統一的に予測できる革新的な理論であることが示されました。

image653-2-01.jpgタンパク質が折りたたまれていく経路を示す地図(自由エネルギー地形)の例

 生命科学の分野では、二〇二〇年に革命的なことが起きました。それは、アミノ酸のつながり方を指定すれば、そのタンパク質がつくる形を予測できる「AlphaFold 2」というAIの登場です。これによって生命科学の研究や創薬のスタイルが変わるといわれています。しかし、AIがタンパク質の形を予測する過程はブラックボックスであり、タンパク質が形をつくる仕組みはAlphaFold 2にも予測できません。これを可能とするのが我々の物理学理論です。今後、実験やAlpha­Fold 2から得られたタンパク質の形をWSME─Lモデルに適用することで、あらゆるタンパク質が形をつくる仕組みを解明できると期待されます。

 現在、タンパク質はさまざまな医薬品や産業用酵素として利用されています。我々の理論はこれらのタンパク質を大量生産するプロセスの開発などにも応用できます。また、タンパク質は結合や触媒などの機能を発揮するときにもダイナミックに形を変化させます。そこで、この理論を発展させて、タンパク質の結合や触媒などの反応速度を予測する理論の構築にも取り組んでいます。この理論が完成すれば、有用な人工タンパク質を効率的に設計できる新たな理論手法の開発につながり、医療や産業への大きな波及効果が期待されます。
 このように学問分野の枠組みを超えた学際的な研究に興味がある方は、ぜひ教養学部の統合自然科学科へお越しください。

(教養教育高度化機構)
(生命環境科学/物理)

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