教養学部報
第654号
〈後期課程案内〉薬学部 「人間の健康に奉仕する」ための多様な学問を追求する
薬学系研究科長・薬学部長 浦野泰照
東京大学薬学部は、一九五八年に医学部から独立して歩みがはじまった、本学の学部としては最も新しい学部ですが、その源流は明治初期(一八七三年)に開設された第一大学区医学校製薬学科であり、昨年一五〇年の節目を迎えた長い歴史を持ちます。その研究対象は当初より一貫して生命科学(ライフサイエンス)研究ですが、その目的は「人間の健康増進」を実現する新たな医薬品の創製であり、高いレベルでの「生命物質科学」だけでなく、国民生活に直結した「生命の社会科学」をも探求する部局です。
特に未だに治療法が確立されておらず、その開発が渇望されている(アンメット・メディカル・ニーズの高い)疾患であるがんや認知症の克服は、人類共通の関心事です。しかしこれらの疾患は、個々の患者さん毎に異なる疾患要因を持っていると考えられるため、疾患の完全克服には、それぞれの患者さんに適合する医薬品を多数開発できる、従来とは異なる新たな医薬品創製スキームが必須です。この達成には、先進的・革新的な切り口での薬学研究が極めて重要で、我々はその最先端を行く研究を行っています。以下、我々の研究を少し具体的に紹介します。
まず疾患の克服は、疾患要因を知ることから始まります。そのためには、次世代シーケンサ、オミクス解析などの高度先進技術を駆使して、ゲノム・タンパク質・代謝物などを網羅的かつ詳細に解析し、疾患要因に迫る研究が重要となります。さらに得られた知見を基に、疾患発症の仮説を立て、細胞や動物モデルを用いてそれを証明し、さらに病因の特定だけでなく、発生などの生命原理に迫る研究への展開も重要です。当学部は、これらの生物学研究における世界的なリーダーが集結した学部であることは、自他共に認めるところです。
次に疾患の要因を明らかにしただけでは、アンメット・メディカル・ニーズの高い疾患の克服はできません。それは、それぞれの患者さんが異なる疾患要因を持っているためで、個々の患者さんの疾患要因を個別に精確診断する技術の開発も非常に重要です。特に患者さんに身体的負荷をかけない、分子イメージング技術と呼ばれる非侵襲的な診断技術の開発において、我々は世界最先端の成果を多数上げています。
さらに、それぞれの疾患要因に対応する薬を設計・開発するための基礎研究ももちろん重要です。治療法に関しては近年、新たな原理に基づく医薬品が数多く誕生し、アスピリンなどの有機小分子から、抗体などをベースとする生物製剤、mRNAワクチンなどの核酸製剤、さらにはゲノム編集技術を用いた細胞製剤まで、多分野に渡る研究をシームレスに進める必要性が高まっています。COVID─19に対するmRNAワクチンや、がんの新たな治療法としての免疫チェックポイント阻害抗体などの例を見れば明らかな様に、多くの先進医薬品は大学での研究から生まれたものです。よってがんや認知症の克服にも、大学知を結集し、新たな発想に基づく医薬品開発スキームを構築することが社会的にも強く求められています。当部局は開学以来、生物系、化学系、物理系、臨床系の最先端研究を行うバラエティに富んだ研究室を有してきており、一つの部局内で分野横断的な研究を密に行う事ができることが最大の強みです。この強みを活かして、がんや認知症の診断から治療までを一体的に実現する、「セラノスティクス医療技術」と呼ばれる新たな医療技術を創製する研究において、他に類を見ない世界をリードする研究成果を近年多数上げています。
医薬品創製研究だけでなく、開発した薬を如何に患者さんに安心して使ってもらい、先進医療国家としての持続可能性が高い体制を如何に作るかという、臨床、社会薬学研究も重要な学問です。当学部では、医薬品の有効性、安全性、費用対効果を客観的に評価・解析し、医薬品行政へとフィードバックする最先端の研究も行っています。それらの成果も合わせて、がんや認知症などの患者数が極めて多い疾患の実効的な克服に向けて、医療経済的な負担が少なく、持続可能性が高い低分子ベースの革新的セラノスティクス医療技術構築を目指した研究を、部局が一体となって推進しています。
このように、「人間の健康に奉仕する」公共体としての大学の価値を高めるべく、必要な学問を一体的に追求する重要な部局として、今後も私たちは独自の研究と教育を強く押し進めていきたいと考えています。
龍岡門から見た医薬の道
(薬学部長/創薬学)
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