教養学部報
第655号
<時に沿って> 四月はいちばん酷い月?
三原芳秋
四月はいちばん酷い月、不毛の地から
リラを花咲かせ、追憶と
欲情をつきまぜて、春雨で
無感覚な根をふるい立たせる。
(鮎川信夫訳)
これは、いまからおよそ百年前、第一次世界大戦後の欧州にゴロリと生まれ落ちた長編詩『荒地』の冒頭です。作者のT. S. Eliotは、哲学を専攻するためにオクスフォード大学に留学してきたはずが、いつのまにか大都ロンドンに潜伏して言葉の爆弾をせっせとこさえていた若いアメリカ人でした。極東の島国では四月に新年度が始まるなどということは、もちろんエリオット氏の知るところではなかったはずですが、やはりこちらは四月が来るたびに、職場がかわったりする四月にはなおさら、この詩句を口ずさんでしまいます。
はじめて駒場に来た四月、それはほぼ三十年も前のことになりますが、正門をくぐった文科三類の新入生がどんな「追憶と欲情をつきまぜ」ながら時計台を見上げていたものか、いまとなっては思い出すことができません。ただなんとなく、あの駒場での二年間のことを思うと、時計台を見上げるたびになにやら後ろめたい気持ちになっていたような気がします。「ああ、もう授業の時間だなぁ......出るべきか、出ぬべきか......」などとつぶやきながら、ふらふらと右旋回して図書館に吸いこまれていったり(いまとは違う場所にありました)、図書館を通り越して「駒寮」の友人の部屋に転がりこんだり(いまの図書館のあたりにありました)、はたまたもっと奥の方の「学館」でぶらぶらしたり(これはいまでもあるようです)、なんとも無為無策の日々を過ごしていました。そんな無為を共にした友人たちは、いまでも大切な(悪)友たちですが、駒場で出会ったのは友人たちばかりでなく、たとえば『荒地』もそんな出会いのひとつでした。そして、悪友たち同様、いまもしつこくつきまとわれています。
本郷の英文科に進学して以降は不思議なほど駒場とは縁遠い人生を歩んできましたが、ここにきてご縁あって、ふらりと舞い戻ってきました。春雨にふるい立たされたつくしのように、暴風にもめげずしっかり立っている18号館の上層階に、きれいな研究室までいただきました。三十年前に正門から見上げていた時計台の反対側を、いまは研究室の窓越しに見下ろしながら、「やや、もう授業の時間だ、いそげやいそげ」と慌てています。時計台を挟んで一回転をなしたと云へば、それで私の駒場記は尽きるのである......などと洒落てはみたものの、もう授業に向かわなければいけないので、このへんで。ご縁があれば、教室でお会いしましょう。ああ、そうそう、せっかくだから、『荒地』から二十年後のエリオット氏(とっくに英国に帰化していました)が第二次世界大戦末期に書き上げた『四つの四重奏』の最終章「リトル・ギディング」の、おわりの方にある四行をおわたししてから出かけます。こちらは西脇順三郎訳で。
われわれは探究を止めてはならない
すべてその探究の目的は
われわれが出発したところに到着することであり
また初めてその場所を知ることであろう。
(地域文化研究/英語)
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