HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報655号(2024年6月 3日)

教養学部報

第655号 外部公開

<時に沿って> Incipit vita nova

谷本道昭

image655-3-1.jpg ご記憶されていらっしゃる方々が多々おられるかどうかはわかりませんが、わたしが「時に沿って」に初めての登場を果たしたのは、七年前の二〇一七年、言語情報科学専攻に助教として着任した際のことでした。出身専攻で二年間の助教職をつとめた後は、教養教育高度化機構の教員としてさらに数年間を駒場で過ごすという幸運に恵まれながら、コロナ禍の中でひっそりとキャンパスを去り、二〇二一年からは明治大学の教員として、さまざまな出会いに恵まれた三年間を過ごしてきました。そのような七年間をへて、この春から言語情報科学専攻准教授として再び駒場に迎え入れていただきました。不惑といわれる年齢を過ぎて早や幾年となりますので、これからは惑うことなくいっそうの努力をしてまいります。皆さまあらためましてよろしくお願い申し上げます。

 さて、問題はこの先をどう書くかなのです。前回の「時に沿って」では、「なじみのある駒場キャンパスであるからこそ、心持ちを新たにして勤務に臨まねばなるまい」という決意のもと、初心に帰って、「明るく楽しく美しく」というわたしが通った小学校の校歌の一節をモットーとして掲げました。そして、その一節は今なおわがモットーであり続けています。と、そのこと自体はよいのですが、前回すでに、園児の頃から口ずさんでいた小学校校歌にまで立ち返ってしまったわたしには、今回、この場所に再登場させていただくにあたって、自己形成に深く関わってきたであろう言葉や体験をさらに過去に遡って見つけたいと思ってみても、幼少期以前の記憶がそう都合よく残っているわけがないのです。

 そんなふうにこまっている時に、ぴかりと浮かんできたのが「新生」という言葉です。初心からさらに遡るには、新たに生まれるほかない、という冗談のつもりもありますが、イタリア語のVita nuovaでもフランス語訳のVie nouvelleでも、「vita/vie」には「生」そのものという抽象的・詩的意味だけでなく、「生活、生き方、暮らし」などの具体的・散文的な意味も含まれています。であるならば、詩的でもあれば散文的でもあるであろう今後の日々のモットーとして、「新生」というありがたい響きのある言葉を掲げておくのも一興ではないか。バルザックもダンテの『神曲』にあやかって『人間喜劇』のタイトルをつけたのだから、バルザックを研究し、なおかつ「再登場人物」でもあるわたしがここで「新生」にあやかろうとしているのは客観的偶然、いや必然ではなかろうか。などということを、フランス語・イタリア語部会の教員としての新たな生を歩みはじめたばかりのわたしは考え、読めないはずのラテン語の文にその思いを託すことにしたのでした。

(言語情報科学/フランス語・イタリア語)

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