教養学部報
第655号
<時に沿って> 「詩」とは何か
青山英正
二〇二四年四月に総合文化研究科言語情報科学専攻に准教授として着任しました。十九世紀の日本文学、具体的には江戸時代後期の和歌と明治前期の短歌・新体詩について研究しています。十九世紀の日本は、歴史上、社会的にも文化的にも最も劇的な変容を遂げた時期でした。その過程において、和歌という伝統文芸が近代短歌に引き継がれ、またそれまで日本に存在しなかった新体詩という新たな文芸が創始されたわけですが、なぜそのような事態が生じたのか、そしてその際に何が起こったのか、というのが私の主な関心です。
そもそも上記のような研究テーマに行き着いたのは、高校生の時から抱いていた、「詩って何だろう」という素朴な疑問でした。国語の教科書に萩原朔太郎の詩が載っていたのですが、一つ一つの言葉はありふれた日本語にすぎないのに、見よう見まねで書いた私自身の「詩」らしきものとは根本的に何かが違う。「詩」とは何か。何が「詩」とそうでない言葉を分けるのか。それについて考えるために、早稲田大学第一文学部文芸専修に進んでボードレールからシュールレアリスムに至るフランス詩や、ロシアフォルマリズムなどの文学理論、詩学に関する現代思想などを手当たり次第にかじっていきましたが、自分の疑問が氷解することはありませんでした。ただ、そうやって暗中模索していくうちに、普遍的な真実として「詩」なるものが存在するわけではなく、「詩」とそうでない言葉とを分ける境界線は歴史的に形作られるのだということに思い至りました。要するに、ある社会のある時代において「詩」と見なされたものが「詩」なのだ、ということです。
そこで、東大の大学院修士課程(総合文化研究科言語情報科学専攻)に進んでからは、日本最初の近代詩集である『新体詩抄』(明治十五年)を研究対象とし、同書所収の作品の言葉がどのようなあり方をしていてそれがなぜ「詩」と見なされたのかについて考え、博士課程では修士論文で得られた知見を歴史的に位置づけるために日本の中世から近世に至るまでの和歌とその享受史・解釈史を考え......という具合に、研究の範囲を広げていったのが大学院生時代でした。もっとも、中世和歌から近代詩歌までを全て研究対象とするのは風呂敷の広げすぎでしたので、二〇〇八年に明星大学に職を得てからは、ひとまず前近代と近代とをまたがる十九世紀という時代に焦点を絞って研究を続けてきました。
当たり前と言えば当たり前ですが、和歌が近代以降も短歌として生き延びることができたのは、この文芸形式に何かしらの意味を見出し、読み、詠む人々が存在したからです。彼らの詠んだ歌の優劣はいったん置き、彼らが和歌に何を求め、どのような歌を読み、詠んだのか、といったことを一つ一つ掘り下げていくと、書物文化史・古典の受容および解釈を含めた文学史・思想史・政治史・社会史・文化史なども見てゆくことになります。人文・社会科学諸分野における研究成果を踏まえながら、大きな歴史の流れの中で文芸という営みについて考える。そうした研究をこれからも続けていきたいと思っています。
(言語情報科学/国文・漢文学)
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