HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報655号(2024年6月 3日)

教養学部報

第655号 外部公開

<時に沿って> ラッキーマン

本多正平

image655-4-2.jpg 私は大阪で生まれました。小学校の頃は算数が特に好きな子供、というわけではありませんでした。中学校に入り、とにかく覚えなさい、という教育を数学で受けて、覚えることが苦手な私は数学が嫌いになりました。中学三年生になり、期末試験の点数が悪く、これはやばいと思って近くの塾にいかせてもらいました。その時に出会った先生が、覚えなさい、という方針とは逆の方針の指導をしてくれました。ラッキーな出会いでした。

 その直後の夏休みに自分で数学の勉強をする気になり、やってみると好きになりました。私は(今でもそうですが)好きになったらそれしかしない性格で、数学だけやってなんとか高校に入ることができました。そして他の教科の勉強のやる気は全くないまま高校三年生になりました。そこで大学入試にはたくさんの教科をやる必要があることに気づきました。このままでは大学で数学ができない、やばい、と思いました。ところがそのときのクラスメイトが、ほとんど数学だけで受験できる大学があるよと教えてくれました。ラッキーでした。それが大阪市立大学で、その後期入試がそうなっていましたので、その後期入試だけ受験しました。ラッキーなことに受かりました。大学ではやりたかった数学だけ勉強して四年生になりました。大学院は京大に進むことができました。ラッキーでした。

 京大では指導教員がやらないほうがよいというテーマをやることにしました。ラッキーにも結果はでて論文を書くことができました。在学中、友人からフランスでおもしろそうな研究会があるよと教えてもらい、参加しました。そこで私のやっている分野の大家がいました。そこで怪しげな英語で突然話しかけ、自分の結果を紹介しました。その方は優しく私の怪しい話を聞いてくれました。そのことがとても嬉しくて、自分の名前を伝えることをすっかり忘れていました。まあいいかと思って帰国したら指導教員にメールが来ていて、私がその大家のもとに一年間滞在できることになりました。指導教員の名前を伝えていたのはラッキーでした。

 その滞在中での結果を認めてもらえたのか、帰国後に京都大学でポスドク、そしてその後に九州大学に助教として、ラッキーにも採用してもらえました。そこで三年ほど過ごしたくらいで東北大の准教授の公募に出してみないかとお誘いをいただき、応募したところ、通って東北大に異動することになりました。これもラッキーでした。同時に海外に一年間滞在してよいというチャンスももらえました。場所はどこでもよいとのことなので、妻に相談しました。妻はイタリアに行ってみたいとのことだったので、近い分野のイタリアの大家にコンタクトをとりました。その方はとてもやさしい人で私の滞在を快く引き受けてくださいました。するとそこでの滞在からタイムリーにも私の研究分野の爆発的な進展が、そのイタリアを中心としてありました。そこから海外の方との共同研究が一気に増えました。ラッキーでした。帰国後数年したら東大への異動のチャンスがきて、今にいたります。この異動もラッキーなできごとになるはずです。

 これから学生さんにとってのラッキーマンに私自身がなれるように、東大で研究、教育ともに楽しみながらやっていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

(数理科学研究科)

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