教養学部報
第655号
大学は、学問は「中立」ではない
阿古智子
二〇二四年度が始まった。デジタル時代の言論空間とアイデンティティの形成について、中国ファクターを捉えて分析するという授業の二回目。一回目はオンラインだったから、初めて学生と顔を合わせての授業だ。民主主義国家が政治機能不全に陥る中で、オーストラリアとニュージーランドの事例をもとに、中国政府が政治家や大学への献金を通して影響力工作を強化している状況を分析した文献について、担当の学生が報告することになっていた。
履修者は十五名程度で三分の一が中国出身。中国の昨今の政治情勢ゆえに話しにくいこともあるだろうし、さらに感情的に受け入れ難いこともあるだろう。五分ほど遅れて男女二人が教室に入ってきた時、ちょうどそうした問題意識から、「セキュリティに配慮し、互いの事情を尊重する必要がある」と私が話すと、その二人はスーッと出て行ってしまった。
なぜ二人は教室を出たのか。中国当局の検閲に引っ掛かるような内容の授業だと思ったのか。教室に残る学生たちのなんともいえない表情をどう捉えたらいいのか。苦笑いなのか、不安に感じているのか。私は一瞬、背筋が寒くなった。
他の中国出身の学生たちが授業に来なくなるのではないかと心配したが、幸い、三週目以降も、引き続き積極的に参加してくれている。
私が大学一年生で中国語を学び始めた三十五年前、今のように強大な力を持つ中国を想像することはできなかった。教育支援を通じて農村でフィールドワークを行うようになった私は、その後、『貧者を喰らう国』という本を書いた。HIV(エイズを引き起こすウィルス)に感染した貧しい農民たちは、地方政府もが関わっていた血液ビジネスに巻き込まれ、苦難の道を歩んでいた。都市と農村を区分する戸籍制度は、毛沢東時代のように移動の制限を課すことはなくなったが、財政力の地域間格差が広がり、大都市部と比べ、中小都市、農村部の戸籍を持つ人たちは社会保障や大学入試において差別的な扱いを受けていた。農業に従事していなくても農村戸籍を持つため、「農民」の「工人」(労働者)、すなわち「農民工」が「世界の工場」の安価な労働力となっていた。
この本を出版した二〇〇九年、中国はすでに急速に発展していた。ある経済学者は書評で、「なぜ本書は中国の経済発展を分析しないのか」と批判した。私の経済学の知識不足は確かだし、研究手法や関心が異なるからこそ見えないもの、見えるものがあるのだろう。しかし、当時から今に至るまで私が強く感じているのは、研究者は、自らの立ち位置をより自覚的に捉え、中国の問題を分析すべきではないのかということだ。
研究者が存在する時代ごとの政治・社会・経済的なコンテクストは、あきらかに私たちの思考や行動に影響を与えている。さらに、私たちが生み出した研究成果、さまざまなメディアで伝えられるイメージ、読者や世論の反応が「中国」をめぐる言説を形作り、さらに私たちはその言説に支配されていく。そうした言説の支配構造における自らの位置を確認する作業が不可欠であるにも関わらず、日本の中国研究界では、研究者は「中立」の位置にいることが暗黙の了解とされているように感じる。
私は全ての調査ではないが、状況が許す限り、「参与観察」(participant observation)の手法を採用してきた。研究者が参与者として研究対象となるコミュニティに入り、そこで生じたことを観察し、記録していく。研究者自らのポジションを捉え、研究者と研究対象の関係性を分析し、それを記述することも重要なポイントとなる。
私の関心は社会的弱者とされる人たちにあり、それゆえ、権力者側の分析が不足している。しかし、言論統制を強める権威主義体制下で、声を上げにくい人たちの声を聞き取ることに意義を感じてきた。そして、そのコンテクストにおいて、自分のポジションを示そうとしてきた。
冒頭で紹介したエピソードからもわかるように、言論統制や監視体制を強化する中国政府の政策に、東大の学生たちも影響を受けている。授業中の発言が誰かに報告されるかもしれないと心配したのか、「授業中に発言したかった内容です」と、授業終了後にレポートを提出する学生もいる。昨年、日本留学中にソーシャルメディアに投稿した内容に扇動の意図があったとして、香港人女性が香港に戻った際に逮捕され、禁錮二ヶ月の実刑判決を受けた。日本にいる間の言動も、中国や香港に渡航した際に問題とされる可能性があるのだ。
こんなことを書けば不安を煽ると言われるかもしれない。しかし、現実に起こっている深刻な事態を前に見て見ぬふりを続ければ、力の弱い者の声はますます聞こえなくなる。そして、中国研究者は「中立」の立場から研究すると言い続けるのだろう。
最近私は、世間的には「右寄り」とされるメディアが主催する「正論新風賞」を受賞した。「中国共産党政権におもねることなく日本のとるべき対応について訴えた」という理由で。私は一方的にラベルを貼られることを拒否したかったが、日本社会の膠着した「右と左の対立」が人権やマイノリティの問題をタブー化する状況に一石を投じたいとも考えた。
ここ数年、私が受託した研究プロジェクトでは、学術専門職員として香港や中国のスタッフを雇用している。政治的引き締めが大きく緩和されなければ、故郷には帰れない彼ら彼女らこそが声なき民の声を、投稿されるそばから消されていく文字を拾い集めてくれている。
二〇〇〇年代初めには、中国でも「公共知識人」と呼ばれる人たちが活発に議論を展開していた。香港では天安門事件の追悼集会が毎年行われ、国際的な人権団体がオフィスを置き、社会的弱者やマイノリティのためにアドボカシー活動を行っていた。言論空間が狭まる中で、意図せざる結果かもしれないが、日本が華人コミュニティに重要な言論空間を提供している。最近東大では、中国国内や香港では主催できない中華圏の知識人による講演会を頻繁に行っている。
大学は、学問はどうあるべきなのか。黙っていないで、根底から問い直さなければ。
(国際社会科学/中国語)
無断での転載、転用、複写を禁じます。