HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報655号(2024年6月 3日)

教養学部報

第655号 外部公開

教養教育高度化機構シンポジウム2024「東京大学のEducational Transformation:教養教育の質的転換」報告

若杉桂輔

 二〇二四年三月十五日に教養教育高度化機構シンポジウム2024が開催されました。今回、企画・運営を担当した機構のEducational Transformation(EX)部門は、二〇二三年度より三つの部門が統合され新たに発足した部門であり、初年次教育を中心に教育Digital Transformation(DX)によりEXをはかることを使命としており、不確実な未来に対応し変革を起こすために自ら課題を見つけ周囲と協調しながら広い視野から課題を解決できる人材の育成を目指しています。OECD Learning Compass 2030に代表される国際的な潮流や二〇二二年の大学設置基準等改正など国内の教育改革の動き、さらに社会全体を巻き込むDXの渦の中、東京大学のEXについて議論することを目的に、本シンポジウムを企画し開催しました。

 シンポジウムは、東京大学理事・副学長の太田邦史先生の開会挨拶から始まり、総合文化研究科長・教養学部長の真船文隆先生の挨拶、そして教養教育高度化機構長の原和之先生から教養教育高度化機構の取り組みや各部門の紹介がなされました。

 続く二つの基調講演では、まず、元教養学部長で現在中部大学特任教授の石井洋二郎先生から「VUCAの時代の教養教育」と題する講演がなされました。先が見通せないこれからの社会では、多様な学問分野を俯瞰しつつ緊密な相互連関の中に新しい教養の中身を位置づけ体系化することが重要であるという話がありました。また、対話を通した双方向的な比較的少人数の討論型授業が重要となるが、アクティブラーニングは万能薬ではなく必ずしも主体的になれない学生への配慮も必要であると指摘をなされ、さらに、教養教育は、専門教育の準備段階ではなく相互補完的に一体をなすものであり、後期教養教育の必要性は今後益々大きくなるのではないかと述べられました。そして、誰も異論を唱えないような言葉や概念こそ最も危険なものでありその内実を問い直さなければならないことや、教員が知識の所有者ではなく知識の使用者として振る舞い、学生と同じ立ち位置で研究に没頭している姿を学生に見せることが必要であり教員自身の意識改革も必要であると唱えられました。次に、総合文化研究科副研究科長・教養学部副学部長である増田建先生から「教養教育高度化機構におけるEX部門の再編について」という題目で、教養教育高度化機構における部門の変遷やEX部門の設立経緯などについての基調講演がなされました。COVID─19感染拡大に伴うオンライン授業の必要性、アクティブラーニングの浸透やICTデバイスの普及などから教養学部における教育の質的転換の要求が高まりEX部門が設立された経緯が説明され、EX部門に期待していることとして「新たな教育手法の開発」「新たな教育評価法の開発」「新たな教育ネットワークの構築による国内外への情報発信」を挙げられました。

 次のパネルディスカッション第一部「これからの教養教育とEX」では、先に講演された真船先生、石井先生、増田先生に加え、情報学環・学際情報学府教授の板津木綿子先生、人文社会系研究科教授の齋藤希史先生とEX部門長の若杉桂輔が登壇し、まず、生成AI時代の教養教育における「教室」としてどのような学習内容や環境が望ましいか議論が行われました。まず、EX部門長の私、若杉がEX部門で目指している教養教育、及び、EX部門での具体的な取り組みについて説明しました。そして、生成AIを協同学習の相手の一人として活用できるが、常に自分の頭で判断することが重要であること、また、生成AIでは、科学研究において重要な「予期せぬセレンディピティ的発見」であるゼロからの発見は行えないという考えを述べました。板津先生からは、生成AIの語学教育の影響に関して、語学教育自体の重要性は変わらないという意見が述べられ、AIの教育導入にはメリットと同時に限界や懸念点もあり、今後教養教育における語学教育の理念を再確認する必要があると話されました。齋藤先生からは能動を促す空間づくりとして「勾玉テーブル」を導入した経験が話され「身体性」が重要であるという意見が述べられました。同時に、生成AIには「身体性」、「主体性」が足りないことを説明されました。これらの話を受けたディスカッションでは、生成AIはツールとしては有効であるが、生成AIの特徴を理解し、「型を教えるため」や自分の癖に気付くための「壁打ち」として利用するのが良いのではなどの意見が出されました。

 次に、生成AI時代の「社会と未来」として、「教室」における変化がどのような影響を社会に与えるか、未来をどう構想するべきか議論が行われました。その中では、色々なものの寄せ集めで主体性のないAIの文体が広まることで、人間のオリジナリティが失われ、「読む・書く・考える」の固有性がなくなる可能性があるという懸念が挙げられました。また、生成AIには、人間の歴史上の人種差別や格差・歪みが学習され、バイアスがかかっていることや、生成AIを運用するうえで問題となっている労働搾取や地球環境への影響などについても学習することが教養教育の意義であるとの意見も出されました。これらの意見を受けたディスカッションでは、生成AIをツールとして活用していくべきであるが、その背景にある社会的なものを含めてリスクについて考える必要があること、また、生成AIについて検討することにより、身体を持つ人間だからできることを改めて考える機会になっているとの共通認識に達しました。

 引き続き、パネルディスカッション第二部「EXと実践の接続」では、EX部門特任准教授の四名の先生方が登壇し、実際にEX部門で行われている業務とパネルディスカッション第一部での内容とどう関係するか議論が行われました。生成AIを実際に授業に活用した事例や活用する利点や懸念について先生方の考えが述べられ、生成AI以外の教育の質的転換についても、SDGsなどの新しい分野で、皆が良いと思っているものに疑問を持つ批判的思考を学ぶことも質的転換の一つではないかという意見や、異なる価値観の人と実際に交わることや教養教育で多様性について扱うことも重要であるということが話されました。

 最後に、総合文化研究科教授の網野徹哉先生が、閉会挨拶として、本シンポジウムにて一つのキーワードになった「身体性」について触れ、EX部門では、最先端の業務を推し進めながらも、時には「古き良き教養教育の伝統を見直すこと」も大切にしてほしいという考えを述べられてシンポジウムは閉幕しました。

(教養教育高度化機構EX部門長/生命環境科学/化学)

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