HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報656号(2024年7月 1日)

教養学部報

第656号 外部公開

対面会議論

國分功一郎

 私が駒場に赴任したのは二〇二〇年四月で、すべての授業がオンライン化された時期だった。私はオンライン授業が学生にもたらす影響についてすぐにでも検討すべきと判断し、障害、映像、学生支援の専門家を招いたオンラインシンポジウムを四月末に開催した(「遠隔教室─大学におけるオンライン授業の課題を検討する」。YouTubeで現在も閲覧可能)。

 印象深かったのは、授業のオンライン化によって、参加のハードルが下がったと感じる学生も少なくないという指摘である。様々な理由でなかなか教室に行けなかった学生にとって、授業のオンライン化は救いだった。確かに授業のオンライン化には有益な面がある。

 同じことが会議のオンライン化についても言えよう。それによって家事、育児、介護などに使える時間が増えたというのは少なからぬ人びとが経験した事実であろうし、私もそれを実感している。オンライン会議に有益な面があることは異論の余地がない。

 他方、私自身の話をすれば、会議がオンラインでしか行われない新しい職場での仕事はやりにくかった。人物像が見えない同僚に電子メールで仕事の依頼をせねばならなかったし、これまでならば廊下での立ち話などを積み重ねることで知り得たはずの情報がないために、組織のナマモノとしての性格が把握できず、どのタスクにどれくらいのエネルギーで臨めばよいのかも分からず疲弊した。
それゆえ私は対面会議の再開に肯定的だったのだが、しばらくして気づいたのは、自分がなぜかそれを堂々と主張できずにいることだった。必要と感じたならばすぐに行動し主張する自分が、どうして今回はこうなのか。内省を続けるなかで、ある概念に思い至った。

 それは社会理論家ヤン・エルスターが述べていた「本質的に副産物である状態States that are essentially by-products」という概念である。たとえば一九世紀フランスの政治思想家トクヴィルは陪審員制度について、それが訴訟関係者にとって有益かは分からないが、市民にとっては有益である、なぜならば市民の法意識を育てるからだと言っている。エルスターの掲げる本質的に副産物である状態の一例だ(Jon Elster (1983), Sour Grapes, Cambridge UP, p.96)。ポイントはこの効果が副産物でしかあり得ないということである。市民にはただ公正に判断することだけが求められる。「自分の法意識を高めよう!」と思って訴訟に参加するのではダメなのだ。

 私が対面会議に期待していた、同僚と会って自分の職場をよりよく認識できるという効果もまた会議の副産物に他ならない。会議はそのような目的のために開催されるのではない。お互いをよく知るために行われるのは懇親会である。懇親のために開催されたならば、それはもはや会議ではない。

 多くの人は会議がもたらす副産物のことをよく知っている。しかしそれは本質的に副産物でしかあり得ない。だからその副産物を理由に対面会議の必要性を堂々と主張することはできない。そしてオンライン会議に有益な面があることも間違いない。

 とはいえ、ここで考えを止めることはできない。堂々と主張することの困難は、主張内容の不適切性を意味しない。以上は、対面会議の必要性を堂々と主張することの困難を分析してみせたに過ぎない。そこで今度は、高信頼性組織研究という分野に注目したい。参考にするのは、福島真人情報学環教授の著書『学習の生態学』(ちくま学芸文庫、二〇二二年)である。

 これは高いリスクに晒されている組織について、事故後にその原因を調査するのではなく、長期間のフィールド調査によって、良い安全パフォーマンスを続ける現場の普段の運営方法を明らかにしようとする研究のことである。事後調査が「死体解剖」なら、こちらは「ナマモノ」を扱う研究だ。

 高信頼性組織研究は「実験的領域の確保」や「ミスの報告の賞賛」など興味深い論点をいくつも教えてくれるが、本稿に関係するのは「コミュニケーションおよび組織の冗長性」である(二五一頁)。高信頼性組織は安全確保のために何重ものコミュニケーション回路をもっており、複数の情報源を相互にチェックする機能を有するという。また組織構造にも冗長性があり、複数のレベルの守備範囲がオーバーラップしている。

 これを会議に応用するとどうなるか。対面会議はコミュニケーションの冗長性の確保に役立つ。オンライン会議では同時に一人しか話せず、また参加者は互いに分離されているため、コミュニケーションはほぼ運営側と参加者側の間に限定される。いわば講義のような状態である。それに対し、対面会議では議題について参加者同士のコミュニケーションが可能であり、議題に対する全体の雰囲気のような漠然とした反応も共有される。いわばゼミのような状態である。当然、会議終了後のインフォーマルなやりとりもコミュニケーションの回路の一つだ。

 さて、会議の主たる機能の一つは議決であるが、オンライン会議では技術的な問題さえクリアーできれば議決を取ることそれ自体にはほとんど何の問題もない。これを対面よりも迅速に行うことすらできる。
しかし、合意形成についてはどうか。これは組織にとって安全確保の営みである。その不全は組織内の不和という事故をもたらす。そしてコミュニケーションの冗長性が組織の安全確保の手段の一つであるならば、対面会議が確保していたコミュニケーションの冗長性の喪失は、この安全確保の営みを損なう可能性を意味する。

 高信頼性組織研究は単に情報が正確に伝えられるだけでは安全性の確保には不十分であって、それが何重ものコミュニケーションによって確認されることの必要性を教えている。その意味ですべての会議をオンラインに置き換えることは組織の安全性を毀損する。私はここから、対面会議が定期的に開催されることは安全な組織運営にとって必要であると考える。

(超域文化科学/哲学・科学史)

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