HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報656号(2024年7月 1日)

教養学部報

第656号 外部公開

<本の棚> 矢口祐人 著『なぜ東大は男だらけなのか』

松田恭幸

image656-2-2.jpg 矢口先生が出版したこの本が話題になっていると聞いたとき、正直なところ、読もうという気が起こらなかった。教養学部報委員会から書評の依頼を受けたときには、何かの「罰ゲーム」か? とすら思った。何故か? 一つには、タイトルを見ただけで、書かれている内容と、読んで楽しいものではないことが容易に想像できてしまうことによる。内容について論じるだけの専門的知見を自分が持っていないこともある。さらには「現役の教授による懺悔と決意」という帯コピー。同じ大学の構成員として、いわば共犯者でもある(失礼!)同僚に先に懺悔されては、こちらの立場がなくなってしまうではないか! こんな本は読まずに、なかったことにしたほうが良い、「不都合な真実」は隠してしまいたくなるのがヒトの弱さというものである。

 とはいえ、私が読まないからと言ってこの本がなくなるわけではない、ということは、客観的に見てすでに私の立場はない。ならば失うものはないわけで、(専攻は異なるが)同僚のH先生の励ましをうけたこともあり、駄文を寄せることにした。思い違いや読み違いも多いだろうが、ご寛恕いただきたい。

 東大が「男だらけ」であることと、その状況が変わらない背景には東京大学が抱える組織的・文化的な差別構造があることは、残念ながら事実である。この本で矢口先生はそのことを、第一章から第三章において、戦前から戦後、直近にかけての東京大学をとりまく様々な出来事における当事者たち(学生、教員、総長など)の発言・証言や、外から見た東大の記述(『三四郎』に描かれる東京帝国大学と学生の姿など)から浮かび上がらせる。第三章で紹介されている、学生運動のさなかに加藤みつ子が記した「「MAN=普遍的人間」の発想が、東大闘争においても少しも克服されていないのだ、克服しようと考えることすらもしないほどに。そして私自身もこの発想から免れていない。だから私は─無意識のうちに─より「MAN」に近づこう、「MAN」のように闘争にかかわろうと努力してきたのだった。それはやはり誤りに違いないのだ。」という告発が、「闘争」を「研究活動」に置き換えると、今もそのまま東大内において成り立つことに気づいて慄然とするのは私だけではあるまい。

 第四章では一転して、アイビー校を始めとするアメリカの名門大学が女性を受け入れた際の様子が記述される。ここで興味深いのは、この変革の原動力となったのは女性が教育を受ける権利を保障するべきだという原則論ではなく、社会の変化の中で、大学も女性を受け入れなければ入学志望者や寄付金を集めることが困難になり、大学の競争力を維持できなくなるという経営的な判断だったことが強調されていることだろう。第三章までが、大学内の構造的差別をあぶり出して批判するものであったことを思えば、このトーンの変化はやや意外に思われるが、これは矢口先生の副学長としての戦略的な記述であろうことが、第五章を読むと了解される。第五章では「東大のあるべき姿」として社会の「ブレイクスルー」に貢献することを掲げ、その実現のために、東大の入学定員の一定数を女性に割り当てるクォータ制の導入をはじめとする様々な施策を提言している。どの施策も論議を呼ぶ内容であることは間違いなく、「公平とはそもそも何か?」などと原則論を議論しはじめると収拾がつかなくなりかねない。だが、そこを東京大学という組織の経営上必要なこととして(執行部は)判断し、(構成員は)納得することができないか? という一種の「落としどころ」を提示しているとも読めるのだ。

 とはいえ、社会からの要請に応じて大学を変えることを是とするかどうかは、単なる経営判断に留まらない問題をはらむ。これを認めず、あくまでも大学の経営・運営方針は構成員によって自治・自律的に定められるべきだと考えるならば、それに伴う責任として構成員は、大学が掲げる理想=東大憲章に照らして、学内の諸制度がそれに適うものかどうかを不断に検証し、必要に応じて変革する義務を負うだろう。つまり、言葉を飾らずに書けば、この本は、自治・自律による大学の運営が大切だというならば当事者としてこの問題に向き合え、この問題を見たくない・考えたくないというなら、黙って執行部の経営判断を受け入れろ、と大学構成員に突き付けているのだ。

 まぁ、こういう二者択一の選択肢が示されるときは、多くの場合、その裏に詭弁が隠されているということも経験から知っているぐらいにはスレてしまった私でもあるが、東大内に構造的差別という問題が存在していることは確かである。この問題をどう解決していくべきか、幅広く、かつ、タブーなしで率直な議論が行われることを期待したい。

(相関基礎科学/物理)

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