教養学部報
第656号
学部報の行方5・中庸点へのアップデート
新井宗仁
私には密かな目標がある。それは、教養学部にいる全教員から研究の話を聞くことだ。会議等でお見かけする先生方が、いま、どんな研究をし、どんなことを考えているのかを聞いてみたい。そのために「高校生と大学生のための金曜特別講座」を毎回聴講し、文理合わせて一〇〇名以上の駒場教員の講義を聞くことができた。しかし駒場には三〇〇名以上の教員がいるため、年二六回の金曜講座(うち駒場教員は約一五回分)だけでは足りない。
そこで活用しているのが教養学部報である。年九回発行され、年間の記事総数は九〇件に及ぶ。私の着任後に約一三〇号分が発行されており、これらの貴重な印刷版資料はすべて捨てずに保存してある(幅一〇センチのボックスに収まる)。できれば先生方の生の声を聞きたいが、「文は人なり」と言うように、学部報から先生方の雰囲気は伝わってくる。着任の記事はワクワクしながら読み、退職の記事はしみじみと拝読し、時には涙する。また、平易な言葉で書かれた研究紹介や書評などを読むたびに、ご研究の素晴らしさに感銘を受け、自分が駒場の一員であることを嬉しく思うとともに、それに恥じないように頑張ろうと決意を新たにする。
現在、学部報の行方についてさまざまな意見が交わされている。多様性は教養学部の魅力のひとつであり、多様な考え方を見聞きするのは面白い。それと同時に、私はふだん「タンパク質についての実験結果をできるだけ矛盾なく統一的に説明しうる理論をつくりたい」と考えているため、複数の対立意見を聞くと、それらをうまく調和させた俯瞰的な解決策がないかと考えてしまう。その着地点は尖った山頂のように登るのが難しい場所かもしれないが、そこに到達できれば絶景を見渡せるはずだ。そのように絶妙なバランスがとれたポイントこそが中庸なのではないか。
教養学部報委員を以前担当していたためか、この記事の執筆依頼が届いた。そこで、学部報における中庸点探しを試みたい。そのためには、学部報の意義と問題点を洗い出し、改善策を検討する必要がある。
学部報の主な意義
【歴史】 教養学部報委員会では、文系四専攻・理系三系・数理から選出された委員が、研究成果のプレスリリースや書籍出版情報等をもとに、重要度や分野のバランスを考慮して記事候補を厳選する。それにより、現在の出来事をタイムリーに伝え、過去についての信頼できる情報源にもなるという新聞としての使命を果たせる。しかも教員自身が書き下ろす。単なる報告書ではない。各教員が折に触れて考えたことの七〇年以上にわたる歴史が生きている。古い記事を紐解けば、懐かしい先生方の声が聞こえてくる。
【教育】 多様性を規範とする現代だからこそ、文理の隔てなく、あらゆる物事に先入観を捨てて素直な気持ちで対峙することが大切だろう。多様な記事がある学部報は、そのトレーニングのテキストになる。論理的思考力という武器さえ身につければ、どんな分野でも縦横無尽に駆け巡ることができるはずだ。
また、私はいつも学生たちに、興味がないと思う分野の話こそを聞いてみてほしいと言っている。思いがけない出会いが人生を大きく変えることもあるからだ。学部報を読むことはまるで人生の宝探しのようでさえある。そして、新たな知識を自分の中に取り込んで消化し、あるいは新たな分野に取り込まれてから脱却し、止揚することで産み出される独創的な知識体系こそが、その人そのものを形作っていく。
【研究】 創造とは組み合わせであるとも言われる。学部報には教科書に書かれていない最先端の研究成果が並んでおり、新たに組み合わせるパーツの宝庫かもしれない。
【交流】 学部報をきっかけに始まる教員同士の交流もある。コミュニティ醸成にはまず、互いを知ることが大切だ。
【FD】 学部報執筆を通して自分の研究をわかりやすく説明することは、教員のための教育(ファカルティ・ディベロップメント)になる。得られた能力は、外部資金獲得やリカレント教育にも有用である。
【広報】 学部報は教養学部の広報に使える。外部資金獲得にも広報は必要だ。他にも学部報の意義は多い。
学部報の問題点と改善策
【印刷】 学部報の印刷部数は年間で約四万部である。紙の使いすぎはもちろん環境に良くない。部数削減も一案だ。また、現状よりも古紙パルプ配合率が高い再生紙に変更する案もある。なお、森林の適度な間伐は災害防止になる。さらに、森林は二酸化炭素を固定するため、他の材料の代わりに木材を使うことは脱炭素社会にも貢献する(これらは金曜講座で習った)。逆に電子化すると、電力供給等のために紙の場合よりも二酸化炭素を多く排出するという試算もある。
学部報を印刷しなければ、年間約二〇〇万円の印刷代を削減できる。しかし、所属学会の会誌が完全オンライン化した後、読者が減少するという経験をした。印刷版にはとりあえず手に取ってみるという効果がある。特に、広報には印刷版が重要だ。印刷費の獲得手段としては、広告掲載、印刷版の一般への販売、学部報記事の書籍出版等がある。
【内容】 学部報が読まれないとしたら、内容やスタイル、広報などに問題がある。内容充実のために、記事投稿の受付/学生へのメッセージ掲載(各教員おすすめの本などを、新入生全員に配布される四月号に掲載)/教員のキャリアデザイン記事の連載(自分はどんな大学生で、どのように進路を選んだのかを学生向けに)/タイムリーな連載記事の掲載、などを追加してもよいだろう。広報としては、教授会資料に学部報のPDFを添付/生協食堂に印刷版を平置き/学部公式X(旧ツイッター)のフォロワー拡大等の対策案もある。
【多忙】 執筆依頼は断ることができる。記事候補の次点も多い。もし今後、記事の減少や委員の多忙が問題になったら、発行回数の縮小や原稿謝金の支給も要検討だろう。
他にも問題点はありうるが、学部報にはまだ進化可能性がある。同時代性を反映するようにアップデートすれば十分に継続可能だろう。
仮に学部報が廃刊になったとしても、教育にかける思いは変わらない。以前私は研究に専念するために研究所にいたが、教育もしたくなって大学に移った。現在は、良い教育を通して良い研究をすることが目標だ。学部報の編集や金曜講座の運営は、若者たちへの教育のために行ってきたのであり、冒頭に書いた自分自身への教育は副次的なものにすぎない。手段はどうであれ、若者たちに、駒場の先生方の素晴らしい研究成果を伝えたいのだ。それをきっかけに若者たちが勉学に励み、できれば教養学部に進学し、高く羽ばたいていく後押しをしたいのだ。東京大学教養学部でdutyとして教育ができるのは、なんて幸せなことか。そのことを改めて考えさせられた。
(生命環境科学/物理)
無断での転載、転用、複写を禁じます。