HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報658号(2024年11月 1日)

教養学部報

第658号 外部公開

優生保護法が犯した罪 ──最高裁判決を受けて

市野川容孝

 本年七月三日、最高裁は、優生保護法はその制定時から違憲という判断の下、同法によって強制的に不妊手術等を受けさせられた人びとに対する損害賠償を国に命じた。この問題については、この国賠訴訟がおこされた二〇一八年に本報(六〇四号)でも論じた。そこから数えてもすでに六年で、その間、三十九名の原告のうち六名が亡くなっている。

 私に即して言えば、二十八年かかっている。優生保護法が廃止され、今の母体保護法に変わった一九九六年、私は江原由美子編『生殖技術とジェンダー』(勁草書房)という本で、優生保護法はもはや不要だからではなく、正義に反するがゆえに廃止されるのである、「それは、今日の観点から不正であるとされる過去の出来事に対して、正義を修復するための措置(損害賠償、補償など)を可能にしていくということである」と書いた。これは私にとって、社会学者としてのコミットメント(責任を伴う約束)の開始点となった。

 翌九七年、福祉先進国のスウェーデンでもナチと同様の強制的な不妊手術がおこなわれていたことが世界的に報じられ、スウェーデン政府は九九年から補償を開始することになるが、私は九七年から「優生手術に対する謝罪を求める会」(以下、求める会)という市民グループに加わり、同じことは日本でも優生保護法下でなされてきた、日本でもスウェーデンのような補償を、と訴えて活動した。最初は厚生省(当時)に行って実態解明と補償を求めたが、「当時は合法だったので、何もする気はない」の一言で追い返された。これを法の不遡及という。

 厚生省では「優生保護法は議員立法であり、私たちは行政としてその忠実な施行につとめただけ」とも言われたので、国会議員への働きかけも始めた。並行して、ホットラインを開設し、わずかではあったが、強制不妊手術の被害者の声を集め、それをもとに二〇〇三年、『優生保護法が犯した罪』(現代書館)という本を出した。何が罪で違法かを定めるのが法律であって、法律そのものが罪を犯すことなどありえない。しかし、そのありえないことが起きている、という意味を私たちはその書名に込めた。この本にも言及しながら、福島みずほ議員が二〇〇四年三月、参議院厚生労働委員会で、この問題に関する善処を厚労省に求めたが、当時の坂口力大臣は強制不妊手術は「行われるべきでなかった」と述べつつも、補償等は考えていないと斥けた。

 二〇〇一年五月に勝訴が確定したハンセン病国賠訴訟の弁護団にも優生保護法の問題を伝えたが、はかばかしい反応はなかった。当時、私たちが出会えていた被害者の女性は一九六〇年代に欺罔によって不妊手術を受けさせられた。彼女については二十年の除斥期間(被害から二十年を過ぎると賠償請求権が消滅するという原則)の壁が乗り越えられず、勝てないと判断されたのではと推察する。ハンセン病の場合は、らい予防法が廃止される一九九六年まで、療養所への隔離等の被害は続いたと判断され、除斥期間は適用の余地がなかった。

 万事休すの状態が続いたが、右の被害女性が二〇一三年九月、後に優生保護法被害全国弁護団共同代表となる新里宏二弁護士に出会うことで大きな転機が生れた。求める会を代表して私はそれまでの経緯を話し、新里弁護士は日弁連への人権救済申立てを提案。二〇一七年二月、日弁連は優生保護法による被害について補償等を国に対して求める意見書を発表した。

 翌一八年一月、冒頭で述べた国賠訴訟が始まったが、それと並行して国会では「優生保護法下における強制不妊手術について考える議員連盟」が発足。その勉強会に私も呼ばれて、ドイツとスウェーデンの例を紹介しながら補償の必要性をあらためて訴えた。このような議連の発足は、私たちが活動を始めた一九九七年当時には現実からは程遠い話だったが、障害者差別解消法の制定(二〇一三年)、障害者権利条約の批准(一四年)、同解消法の施行(一六年)という流れの中で、優生保護法の問題について国会が何もしないわけにはいかないという意識が、与党議員を含めて生まれ広がった結果ではないかと思う。二〇一九年四月、優生保護法下での強制不妊手術等の被害者に対し、一人三二〇万円を払う一時金支給法が制定され、即日施行された。

 その一方で、国賠訴訟も続いた。二〇二〇年一月、私は東京地裁で原告側証人として証言し、二〇年の除斥期間をこの問題に機械的に適用するのは不適切であると述べた。その理由は、第一に、強制不妊手術の多くは欺罔によってなされたのだから、手術を受けた本人が二十年以上経ってもそのことに気づかないケースは少なくない。にもかかわらず、除斥期間を適用するのは、かつての欺罔等を今も正しいと追認するに等しい。第二に、被害に気付いていたとしても、誰が進んで自分や自分の家族が「不良な子孫」(優生保護法第一条)と見なされたと公言するだろうか。そのスティグマゆえに二十年以上、その被害を口にできないケースも少なくない。東京地裁は二十年の除斥期間をそれでも適用して原告側の請求を棄却したけれども、最高裁は大筋、私と同じ考えで除斥期間の適用を外し、請求を認めたと私は理解している。

 もう一つ、法廷での証言に先立って証人は「真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べない」との宣誓を求められる。私もそうして署名・捺印した。が、不妊手術について欺罔等を認めていた優生保護法は、真実を隠し、偽りを述べることを推奨さえしていた。それはおかしくないですか、と私は述べた。二十年の除斥期間を適用して優生保護法をいわば許すなら、このような宣誓を証人に求めるべきではない。逆に、宣誓させて、場合によっては偽証罪に証人を問うのであれば、優生保護法に対しても、除斥期間の適用を外してその罪を問うべきである。最高裁判決は難しい話ではなく、法廷がこの矛盾に自分で堪えられなかった結果ではないかと私は思っている。

 本年七月三日の最高裁判決で、私の社会学者としてのコミットメント(責任を伴う約束)も果たされたと言えるかもしれないが、私自身は喜べない。こういう結果であるからなおさらなのだが、あの時、こうしていれば、ああしていれば、もっと早くにこういう結果を被害者にもたらすことができたのではと思い、むしろ自責の念が強くなる。被害者の多くはすでに亡くなっているのである。

(国際社会科学/社会・社会思想史)

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