HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報658号(2024年11月 1日)

教養学部報

第658号 外部公開

<本の棚> 鈴木早苗 著『ASEANの政治』

湯川 拓

image658-2-2.png 欧州連合(EU)という地域機構がある。EUはその機構にせよルールにせよ協力の実態にせよあまりに複雑であるため、EU研究者の中でも「自分の専門はEU法」「「自分はEU経済」といった形である種の「分業」が進んでいる(ように私の目には見える)。今のEUについて一人の研究者が全ての領域を深いレベルでカバーすることは大変な困難を伴うのだろう。そして私は、本書が対象とする東南アジア諸国連合(ASEAN)もそうなりつつあると考えている。かつては年に一回開かれる外相会議こそがASEANであると言ってもよかったが、設立後五十五年も過ぎ、そのような牧歌的な時代は過去のものとなった。今では組織そのものが複雑化すると共に、年間に数百の会合が開催され、幅広いイシューで無数のプロジェクトが同時並行的に走っている。ASEANの全体像を理解するのはすっかり難しくなってしまった。そのような中、それでもなお一人の研究者がASEANの諸側面について取りこぼしなく、細部まで目配りをきかせて書ききった質の高い概説書が本書である。

 本書は序章でASEANを見る視点を提示した後、第一章で歴史的経緯を概観し、第二章で政策決定のあり方を整理する。そして、それ以降は「政治安全保障」「経済統合」「非伝統的安全保障」「域外国との関係」にそれぞれ一章ずつ割り当て、終章で議論をまとめると共に今後のASEANの展望について述べて締めくくっている。これらを一人で書くことによって得られたものは、本書全体を通しての一貫性である。それはいくつかの点で発揮されている。

 一つには、分析対象を厳密に「地域機構としてのASEAN」に限定していることである。「ASEAN」という言葉はしばしば「東南アジア地域」と同義語として用いられる。したがって、『ASEANの政治』という本書のタイトルは、「東南アジアの国際関係」というより一般的な内容にもなりうるし、「ASEAN加盟国の政治」という各国の内政も含んだ内容にもなりうる。しかし本書は、ある意味では非常に禁欲的に、分析対象を「地域機構としてのASEANの政治」に絞り込んでいる。それが顕著に発揮されているのが第二章の「ASEANの政策決定」だろう。地域機構としてのASEANの内部でどのようにして意思決定がなされるのかという点はまさに著者が長年研究対象としてきたものであると共に、他の研究書や論文では体系的な知見を得ることがかなわない内容である。一般的な読者だけではなくASEANを専門的に研究する者にとっても得られるものは多い。

 もう一つは、比較の視点である。本書の工夫はASEANという地域機構を他の地域機構と比較する俎上にのせていることである。それにより、ASEANの特徴を浮き彫りにした上で、それをもたらした背景を明らかにしようとする。具体的には、「主権制約の程度」を、地域機構を比較する際の定点として設定する。そして、ASEANの特徴を主権制約の程度が他の機構と比べて低いことに見出した上で、それでもなおその程度が歴史的に変化してきた(強まってきた)経緯を描いている。したがって、本書は『ASEANの政治』ではあるものの、時に他の地域機構への言及が見られる。このように「地域機構」というユニバースの中での比較の視座を導入するという理論的な試みが全体を貫いていることが、本書の大きな特徴である。その意味で、本書はASEAN研究であるだけではなく、比較地域主義理論にも示唆を与えるものとなっている。ここには、本書を「ASEAN研究」の枠に留めたくない、あるいは地域研究に対しても国際関係理論に対しても貢献したい、という著者の強いこだわりが感じられる。一体に、「地域研究」と「理論」の双方の読者に納得してもらうものを書くのは難しいものであるが、本書は基本的には前者を念頭におきつつも、両者を自然な形で調和的にまとめている。

 このように、時期においては一九六七年の発足から現在まで、イシューにおいては安全保障から経済協力まで、アプローチにおいては実態の詳細な解説から理論枠組みの提示まで、「ASEANの政治」を書き切った本書が登場したことで、ASEANに興味を持つ方には「まずはこれを」という形でおすすめできる本を得ることとなった。喜ばしい限りである。

(国際社会科学/国際関係)

第658号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報