HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報658号(2024年11月 1日)

教養学部報

第658号 外部公開

はじまりの「翁」への旅──猿楽の再創造に立ち会って

沖本幸子

 能のルーツと言われる「翁」は、世阿弥が活躍する二〇〇年も前、少なくとも鎌倉時代から猿楽の看板芸だったと考えられる。そんな古い時代の「翁」、猿楽の「翁」を上演したいということで、狂言師の小笠原由祠氏からお声がけいただいた。「翁」も含めた猿楽の復活は氏のライフワークで、今回は国立能楽堂で「第一回小笠原乃会」を立ち上げるに際しての試みだ。その経緯や趣旨はすでにプログラムに書いたので、一部転載し、紹介に代えたい。

 かつて、翁はおしゃべりだった。

 そんなことを言うと、能の「翁」に親しんできた人たちからは怪訝な顔をされてしまうかもしれない。現在の能の「翁」には、これといったストーリーもなく、翁はあくまでも「天下泰平・国土安穏」を祈る厳粛で荘厳な存在だからだ。

 しかし、古態を残すと考えられている各地の民俗芸能の「翁」に目を向けてみると、そうしたイメージは一掃される。饒舌で、ほらをふいては人を笑わせ、エッチなことも大好き、語りの力でその場に宝をもたらしてゆく、愉快で楽しい翁の姿が立ち上がってくるからだ。

 そんな翁が能の翁のルーツだなんて信じられない?

 しかし、確かな痕跡がある。

 「翁」の神歌にある催馬楽「総角」などの詞章は民俗芸能の「翁」に広くみられるものだし、「十二月往来」の小書には「御調の宝、数へてまいらせん、翁ども」と翁が宝数えをしていた形跡がうかがえる。また、能の翁が「天下泰平・国土安穏」の祈祷を唱えた後にある「あれはなじょの翁ども、そやいずくの翁ども」といった、今となってはなぜここでこんなことを言っているのかさっぱりわからないセリフも、民俗芸能の「翁」に照らせば、どこからともなくやってきて、ここに宝をもたらそうとする翁に向かって、「あれはどこの翁どのかな?」とはやし立てる文句だったことがわかるのだ。だから、かつての翁は、ここに宝をもたらすという確固としたストーリーをもった、おしゃべり翁、語る翁だったといえる。

 「翁」が記録上初めて登場するのは鎌倉中期、一二〇〇年代中盤のことだが、そのときの「翁」は、翁・三番叟・父之丞の三人翁で、しかも、人々にすでに物まねされるくらい大流行していた。だから、「翁」のはじまりは、もっと前のことだったと考えられる。今から八百年以上前の、記録以前の「翁」・・・・・・。

 そんな時を超えて「翁」のはじまりを考えることは、記録の世界からも現在の能の「翁」からも飛び立って、民俗芸能の向こう側に目を凝らし、猿楽について思いを巡らすことだ。壮大なロマンともいえるが、妄想に陥らずに再創造を試みるのは、とてつもなく難しい。そもそも、小笠原さんと初めてお会いして構想をうかがったのは今年の五月三日。公演までに四か月を切っていた。ううむ。私は迷っていた。

 にもかかわらず、私が今回、参加してみようと思った大きなきっかけは、こんな会話にある。「なぜ、〝語る翁〟をやってみたいのですか?」と私が問うと、小笠原さんは、自作の仮面を持ってきて(そう、小笠原さんは面打でもある)、「翁って、切りあご面なんですよ。あごのところが切られてつながれている。これ、今ではきつく締めて動かないようにしてしまっていますが、少しゆるめてつけると、ほら、しゃべっているように見えるんです! だから、絶対、翁はもともとしゃべる翁だったんだって思ったんです!」。

 翁が切りあごの面であること、これもまた、「翁」の大きな謎の一つだった。今の「翁」の演出では、切りあご面である意味がないからだ。能でも狂言でも、翁面以外はすべて切りあごではなく、つなぎがない。顔へのフィット感でいえば、その方が断然いいはずだし、強度という意味でも一木の方がいいに決まっている。三番叟のような激しい舞には、なおのこと。だから東北では、三番叟は一度死に、蘇生した、その際、あごの骨だけ見つからず、つながれた、などという伝説まで生まれていた。

 しかし、「翁」が「語ること」、「翁」の物語こそが重要だったとすれば、しゃべって見える面であることは必須条件だったろう。「翁」はその面に、猿楽の「語る翁」の面影を宿し続けていたことになる。(後略)

 現場の方々と一緒に仕事をする楽しさはこういうところにあって、この話を聞いた瞬間、私は、ともかく「語る翁」のおもしろさが伝わる舞台にしようと腹をくくった。

 もちろん、多くの課題も浮かび上がってきた。まず、大道芸を能楽堂で演じる難しさがある。能楽堂自体戦国時代にできたものだから、猿楽時代には存在していなかった。しかも、「橋がかり」という長い廊がついていて、役者はそこを歩いて登場するが、この間が観客に妙な緊張を強い、すぐには笑えない状況を生み出してしまう。そもそも能舞台での芸の完成度を求めようとすると、どうしても能や狂言の様式に頼ることとなり、能・狂言の模倣のように見えてしまうというリスクもあった。

 では、能楽堂を離れ、今の能や狂言を離れて、どういう「翁」ができるのか。猿楽の「翁」への旅ははじまったばかりだ。

(超域文化科学/国文・漢文学)

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