教養学部報
第659号
「教養」の今昔
田村 隆
東京大学教養学部は旧制第一高等学校と東京高等学校を前身とする。一高は文武両道を旨とし、駒場の倫理講堂(現九〇〇番教室)には文の象徴として菅原道真、武の象徴として坂上田村麻呂の肖像画が掲げられていた。校章の意匠も、文のオリーブ、武の柏から成り、今も正門や一号館に残る。
東京大学附属図書館の蔵書数が一〇〇〇万冊に達したということだが、駒場図書館や国文・漢文学部会が所蔵する古典籍に関しては、一高文庫、東高の黒木文庫、待鳥文庫など、旧制高校由来の貴重なコレクションは今日の駒場の古典籍の基盤をなしている。また、一九一九年の「高等学校規程」には「国語及漢文」、「外国語」、「歴史」、「数学」、「物理」、「化学」、「法制及経済」などの各学科目が並ぶが、これらは教養学部前期部会の区分と重なる分野も多く(国語と漢文の組み合わせは今日の国文・漢文学部会に通じる)、旧制高校から教養学部への連続性を感じさせる。
「教養」は当初「子を教養する」などのように教育の意味で用いられ、大正期に今日的な意に近い「教養」へと転じた。一九四九年の東京大学教養学部の創設が近づくと、「一般教養(リベラル・アーツ)」のような対訳の用例も見られる(一九四八年七月の「大学法試案要綱」では国立大学に「リベラルアート(人文、社会、自然科学)学部」の設置が提起された)。ただ、「リベラル・アーツ」の位置づけは学内外の資料によりまちまちで、教養学部前期課程について言う例もあるが、教務上は後期課程を指すことが多かったのではないか。『教養学部の三十年』に経緯が述べられる通り、「教養学科」の創設時の英語名称はDepartment of Liberal Artsだった。東京大学新聞研究会編の『世界新語辞典』(一九五〇年版)もリベラル・アーツについて「文理両面にわたり基礎的な智識を得る新制大学の教養学科はこの精神を汲んでいる」と説明する。「教養学部」の方は「一般教育」の学部としてCollege of General Educationと称された。なお、矢内原忠雄は一九五一年の対談「アメリカの大学・大学院」で、日本の旧制高校の授業を「リベラル・アーツの教育」と呼んでいる。
一方、南原繫は公式の英語名称に先立って、一九四九年七月七日の入学式における総長の演述で「わが「教養学部」(Faculty of General Culture)」という表記を用いた。制服の襟章、今はメールアドレスの教養学部のドメインにもなっている「C」の淵源であろう(南原の教養観については苅部直『移りゆく「教養」』に詳しい)。一高と教養学部で教授を務めた藤木邦彦は「自由と教養」(本紙第一二一号)で「自由にして清新なるものの樹立にはたとえ迂遠とみられようとも、その基礎が十分に耕されなければならないのである。教養を意味する英語のCultureがCultivateと同じ語根をもつことも、考えあわすべきであろう」と述べる。このように駒場の「教養」は、旧制高校以来の複数の理念や教育制度が折り重なって形作られてきたと言えよう。
(超域文化科学/国文・漢文学)
無断での転載、転用、複写を禁じます。