HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報660号(2025年1月 7日)

教養学部報

第660号 外部公開

<送る言葉> 駒場の政治思想研究を築いた偉人・森政稔先生を送る

井上 彰

 森政稔先生を送る文章を私が書いていること自体、畏れ多いことである。なにしろ、森先生は、伝統ある駒場の社会思想史研究の発展に大きく貢献されただけでなく、「駒場の政治思想」──政治思想史だけでなく政治理論・哲学も含む「政治思想」―研究を築き上げた偉人だからだ。

 かくいう私も、大学院時代に森先生から薫陶を受けた一人である。森先生の授業を受けてまず驚いたのは、森先生の洽覧深識ぶりである。森先生は、政治思想(史)に限らず、哲学や社会学そして経済学史に至るまで、ありとあらゆる古典や理論に通暁されており、受講した学生はまずその点で森先生に畏敬の念を抱くのが常であった。

 しかし森先生の凄さは、そうした知見を、そのときどきに俎上に上る議論の文脈―それも決して些末ではない、大きな文脈―のなかに的確に位置づけ、丁寧かつ理路整然と語るところにある。森先生の授業で学生は、そうした大胆かつ繊細な「駒場の政治思想」に、先生の軽妙な語り口を通じて触れることができたのである。

 私が二〇一七年度に国際社会科学専攻に移ってきてからは、同僚として森先生と同じ社会・社会思想史部会に所属するという幸運に恵まれた。森先生は、駒場の自由闊達な学問風土を守るべく、教務委員をはじめ、数々の学内業務を粛々とこなされた。その姿勢から私も多くを学ばせていただいた。しかし、私がなによりも先生の同僚であることを僥倖に思ったのは、シーシス・コミッティにて主査もしくは副査という立場から、森先生の卓越した知見に触れることができたことである。それはまさに、私が学生時代に薫陶を受けたものと寸分違わぬもので、大きな文脈から博士論文のテーマ・内容に深く突き刺さる森先生のコメントを傍らで拝聴することができたことは、私にとってのかけがえのない財産となっている。

 森先生は学生思いの方でもある。演習等では容赦のないコメントを繰り出すものの、森先生なりの気遣いが感じられることもしばしばであった。たとえば私が修士課程に入りたての頃、先生の演習にてホッブズの政治思想について報告をしたのだが、その日は天候が荒れ模様で、出席者は私を含めて三人だけであった。私の拙い報告とそれに基づくディスカッションが終わり、荷物をまとめて帰宅しようとすると、森先生が「井上さん、今日がんばってくれたから、食事にでも行きましょう」と声をかけてくださり、もう一人の参加者とともに三人で渋谷に行き、夕飯をご馳走になった。森先生にたくさんの指導学生がいたのも、そうしたお人柄のたまものでもある。

 われわれはいま、デモクラシーへの信頼が大きく揺らぎ、秩序や国家の正統性について根本から考え直さなければならない時代に直面している。そうしたなかにあって、森先生のデモクラシーやアナーキズムにかんする重厚な研究は、政治思想(史)分野での重要な知的貢献であるのはもちろんのこと、実践的レリヴァンスを多分に有する成果でもある。森先生が築いた「駒場の政治思想」に大きな魅力と重要性が見出されるのは、そうしたリアリティとの接点がゆえでもある。

 森先生が駒場を去られるのは至極残念である。しかし、森先生が築き上げた「駒場の政治思想」が潰えることはない―そう断言して、私の森先生への送る言葉としたい。

(国際社会科学/社会・社会思想史)

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