教養学部報
第660号
塀の向こうに「誰」がいるのか ──共に考え続ける
山岡あゆち
罪を犯した人は「犯罪者」として凶悪なイメージが報道で強調され、その人生や人格が見えにくくなりがちです。研究からは、多くの受刑者に幼少期の被虐待経験、障害や生活困窮状況等の生きづらさがあるなど、犯罪の背景に社会的排除や構造的差別があることが明らかにされています。前提として、犯罪被害者の方への支援や補償の拡充が求められることに異論はなく、犯罪によって傷ついた方の回復のための支援や補償は大変重要な課題です。他方、厳罰化が進む現在、犯罪者を断罪するだけでなく、犯罪を生む背景にある社会的排除や構造的な差別について、新たな被害を生まないためにも社会全体で考える必要があるのではないでしょうか。
二〇二三年から「塀の向こうには誰がいるのか:犯罪と刑事司法の多角的理解」という全学自由研究ゼミナールを一、二年生向けに通年で開講しています。この授業では、刑事司法に関する様々な分野の専門家(法曹・対人援助職)や当事者の方をゲスト講師としてお招きし、多角的な視点から犯罪と刑事司法について理解を深めることを目指しています。担当教員は、過去に行政職や心理職として非行少年や受刑者と接した経験に基づいて授業を企画しています。法曹など実際に将来的に刑事司法に関わる職業を志す学生だけでなく、すべての学生と共に上記の問いを考え続けたいという思いを込めて授業を企画運営しています。
授業前は「犯罪者」に対して「自分とは違う世界の人」と捉える学生が多く、「犯罪者と話すのが怖くないか」「犯罪者を弁護する際に良心の呵責を感じないか」といった質問も多く寄せられます。これは、報道による凶悪な犯罪者像が影響していると考えられます。授業では、専門職の方や当事者の方に、それぞれのご経験や矜持を話してもらい、問いかけをしていただきます。ゲスト講師の実体験を交えた講義で、学生達はメディアや書籍では知り得ない事がらに触れ、ときに感情を揺さぶられながら、自分との連続性や非連続性を体験し、自らの考えや感情と向き合っていきます。ゲスト講師の方の立場や役割などによっても見えるものは大きく変わります。担当教員は実務経験に加えて学際的なフレームワークで理論的に整理しつつ、グループワークを多く取り入れ、学生間の意見交換も大切にしています。ほかの学生の考えに触れることで、多くの気づきを得ることにつながっています。
この授業では、センシティブなテーマを扱うため、教室の出入りを自由にし、異なる意見や立場を否定しない議論を大切にしています。当事者の方が辛い体験を話してくださる際には、その意味や重みを真剣に考えるよう伝えており、授業中に重い空気が流れることもあります。しかし、こうした体験に基づく学びを通して、学生たちは犯罪の背景にある社会問題や自らの価値観を再考し、単なる善悪の二項対立で捉えることの危うさに向き合います。罪を償うことや刑罰について葛藤しながら他の学生と意見を交わし、自らの考えを深めていく場となるようにしています。
授業では、社会制度に対する批判的意見が出てきた場合には、批判や現状の課題分析だけでなく、背景や制約を理解して、その課題解決まで思考を巡らせてほしいと思います。どのような意見かに拘わらず、自らの考えを持つことを大切にし、答えのない問いを投げかけ続けてほしいと考えています。この授業を通して、お互いの考えを尊重しながら、異なる立場の人と対話の重要性も感じてもらえればと思います。学生が将来どんな道に進んだとしても、この授業で考えたことを頭の片隅、心の片隅においてもらえることが、社会の変化に向けた地道な一歩だと信じています。
この問いを教室内だけでなく、更に多くの人と考えるために、二〇二四年十月二十六日には授業関連イベントとして、映画「プリズン・サークル」の上映会を開催しました。このドキュメンタリー映画は、刑務所のプログラムを通じて受刑者が仲間と共に過去の心傷体験と向き合い、犯した罪に向き合う姿を描いたものです。学生限定だった二〇二三年度から一般公開に移行し、今年は八十七名の方の参加がありました。映画内で登場人物が、お互いに、色々な葛藤を抱えつつ、語る中で過去の傷つきや罪に向き合う様子が描かれ、文字だけでは決して得られない体験だったと語った授業の受講生もいました。上映後は、当初大学の所在自治体の方を対象としていたミニレクチャーも希望者全員に実施し、映画の内容に関連する制度や取り組みに関する紹介や、授業で大切にしていることをお伝えしました。参加者の方からは、ミニレクチャーを通じて、さらに映画の理解が深まったというお声もいただきました。
犯罪には被害者の方がいることを決して忘れず、このテーマについて、学内だけでなく、地域社会の方々とも一緒に、今後も考え続け、問い続けていきたいと思います。
(教養教育高度化機構)
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