教養学部報
第660号
<送る言葉> 森芳樹先生のこと
稲葉治朗
森芳樹先生について、ということですが、付き合いが短くないにもかかわらず私はうまく伝えることが出来ず、いろいろな意味で「すごい人」と言うしかないような気がしています。一つには、森先生はご自身のことをあまり語ってくださらず、ある意味ミステリアスな方です。また、独特の言い回しで、話し言葉でも書き言葉でもおっしゃることが理解困難なことが少なくない。あの真意は何なんだろう?と仲間内で頭を悩ませることも頻繁です。結論として、頭の回転が速すぎて我々にはついていけない、グライスもびっくりするくらい「会話の含意」の度が越えている、というふうに半ば諦めに至ります。あと森先生はともかく面倒見がいい。ある意味、昭和的な研究室内の団結というか、特に指導学生に対してはこの上なく頼りがいのある親分なのではないかと思います。教え子ではないのですが、私もどういうわけか何かと気にかけていただき、ここでとても列挙できないほどお世話になりました。その分、厳しいご指導も時にはありましたが。
私が森先生に初めてお目にかかったのは、大学院生時代の一九九〇年代半ばでした。学部の地域・ドイツ科時代からの指導教官だった吉島茂先生からドイツの語学学校で学ぶ奨学金をご紹介いただき、その際、ザールブリュッケン大学で研究員をしているドイツ科の先輩がいるから、よかったら会っていらっしゃい、とのこと。まだ電子メールが今のように当たり前ではなかった時代、見知らぬ大先輩におっかなびっくり電話をかけてアポを取りました。ザールブリュッケン駅に迎えに来てくださった森先生、ドイツ人の中でバリバリやっているということで、ごつい人を勝手に想像していたところが、むしろ小柄で、さわやかな感じのお兄さん、というのが私の第一印象でした。その時にはご自身の研究プロジェクトの人たちにも私を紹介してくださり、研究面はおろかドイツ語さえもまともに使いこなせていなかった私は、すごいなあ、雲の上にいる人だなあ、という思いで皆さんの話を分からないながらも聞いていました。
その後森先生は帰国され、私が知る限り、まずは慶応大学、次に筑波大学に勤められ、最後に古巣の駒場に戻られました。どういういきさつで私が森先生とコンタクトを保てていたのかは記憶が定かではないですが、これは前述の面倒見の良さがなせる業だったと思います。研究会などでも、若い院生などに対して森先生の方から声を掛けて話を振り、相談事があれば相手の話をじっと聞いてくださる。こうしたところが、少なからぬ学生たちが森先生のもとでやっていきたいという気になるのだな、と私は後になって納得するようになりました。
お仕事の面ではドイツ語部会主任・言語情報科学専攻長・外国語委員長などの要職を涼しい顔でお引き受けになり、またTLPの立ち上げにも尽力されました。研究面では日本独文学会賞、ドイツのグリム賞などを受賞され、日本におけるドイツ語学研究を牽引されてきました。
私にとって森先生はいつになっても「若兄貴」だったところが、もうご定年というのが信じがたい気分です。いろいろな面でまだバリバリ現役感に満ち溢れている森先生のことなので、ご定年後もこれまで同様あるいはそれ以上にご活躍になる姿が目に浮かびます。そういうわけで、どこか遠くに行ってしまうという実感がわかないので、今後ともどうぞよろしくお願いします、という通常のご挨拶で締めることにいたします。
(言語情報科学/ドイツ語)
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