HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報660号(2025年1月 7日)

教養学部報

第660号 外部公開

<駒場をあとに> 雑感

寺田 至

 このキャンパスに初めて学生として通ったのは、ついこの前のようだが四十七年前のこと、駒場の教室で講義をする側に回ってからでもまもなく丸三十四年になる。そのメンバーに加えていただけて、これまで何とかやって来られたのは、さまざまな方々に助けられ救われてきた賜物以外の何物でもなく、この場をお借りして深く感謝させていただきたい。

 常勤教員としての数学とのおつき合いが最後になるので、どうしてもその全体を振り返る気持ちになる。その大半を過ごしたのが駒場である。

 いくら感謝してもしたりないのは、仕事でもきっかけを多く人からいただけたことだが、それでもそこに予期せぬ法則が浮かび上がってくるのに出会ったと思えたこともゼロではないと思う。そういうときのことは静かに強く心に残っている。

 自分の場合、その出会いは実験の絡むものが多い気がする。実験と言ってもいわゆる実験器具は必要なく、基本的には紙と筆記用具、場合によっては文献、あとパソコンである。ただ、パソコンで計算させるために長々とプログラミングしていることも確かにあるが、出会いの瞬間はむしろ自分の手で黙々と計算しているときのことが多かった。一時期、コンピューターが身近になったころ、手では計算できない分量の実験をして法則を発見するタイプの研究が数学でも話題になったが、自分ではなかなか適した題材が見つからず、実験できても読み取れるのは当然のことばかりだったりして、あまりうまくいかなかった。自分が計算しているのを人が見て、君の計算は絵を描くことなんだねと言われたことがある。その気(け)はある。計算機に乗せるのがやや面倒だったのは、それも影響しているかもしれない。近年は多くの人の努力の積み重ねで道具(ソフト)も蓄積され、計算機でやりやすいことも大幅に増えた。

 話を出会いに戻すと、対比の気づきと呼ぶべきものもある。対比と言っているのは、想定aに対して結果b、想定Aに対して結果Bがあって、a:b=A:Bのような関係にある状況のことで、その気づきとは、a,b,Aがわかっているとき対応するBは何かを見つけること、または別の知られていたXという結果が実はBに当たると気づくことを意味する。前者はしょっちゅう使う発想形式で、特筆すべきことでもないかもしれないが、それでもBが何か簡単にはわからなくて、それに気づいたときはうれしい。一方Xが実はBだと気づくということには、別ものだと思っていたものの間を結びつける何らかの原理や視点を見つけるということが含まれていて、実験によるものとは違うが法則との出会いに通ずるものがある。つい先週聞いた有名な研究者の講演にも、こうした発見にきらりと光るような喜びを見出す様子が伺えて、程度は違えど自分も同種のことを経験したことがあると感じられたことが印象深かった。後者を少し広げて、意味づけの発見ということで言えば、自分で見つけるのはもちろんだが、自分に何らかの関りがあって近くにいたり過程を目撃したりしただけでも貴重な体験だった。

 自分はもともと人見知りで、人とうまく交われるほうとは思えない。それでも人から親しくしてもらったり、人の力や思いがけぬ巡り合わせによってさらに人と出会ったり、中には自分から交わろうと努力したりして、世界が広がっていくように感じポジティブになれたこともある。物理的に遠く離れて暮らしている人、頻繁に会えない人でも話の通じることをやっている人がいることを知り、実際自分の理解が深まったこともある。そうでなくても、遠く離れた土地で思わぬ記憶を共有している人を知って目の覚めるような思いをしたこともある。大部の書をヨーロッパからはるばる持ってきて東大某所に寄贈させてくれた人もあった。冷静に考えてみれば、こうしたことは人とのつき合いかたが進歩して何らかの欠点が克服できたということではなく、その欠点の引き起こす問題も変わらないのだが、それでもこうした経験は感謝と共に忘れずにいたいことである。

 さて、常勤教員を退職することは引退とも言うが、アメリカの数学者は「微積を教えることからの引退」と言う(人がいる)と聞いたことがある。微積を教えるのは大切な仕事であるのはいうまでもない。だが退職は数学をしなくなることではなく、しようと思えばよりできるようになるという意味も込めた励ましである。励ましは戒めとも言え、時間ができてもそれだけで続けられることではなく、いろいろなメインテナンスが重要になる兆しもすでに見える。でもこのところ、自分より年上の、七十、八十、さらにその上の年齢だが活発に数学をしている方の話を聞く機会が続いた。自分もそんなふうでありたい。何とかそんなふうであるために努力したい。ちょうどそう思ったところである。

(数理科学研究科)

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